本質的対立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 16:40 UTC 版)
「マルティン・ハイデッガー」の記事における「本質的対立」の解説
世界は人間の行動と関係の場である。つまり、人間の歴史の場であり「決定と作業、行動と責任を通じて絶えず変化する領域」である。通常は「社会」や「文化」と呼ばれるが、ハイデッガーはそうした名称に先行するより包括的で根源的な用語をあてようとした。「大地」は土と岩、植物と動物等々の領域であり、そこで起きる出来事は人間の歴史や関係とは無縁である。西欧の科学や哲学は「自然」といった言葉を用いてきた。しかし、ここでもハイデッガーはより根源的な用語をあてることによって従来の思考形式から逃れようとした。これらの二つの領域はどう関係し合っているのか。二つは「アレーテイア」の働きのなかで正反対の立場に立つ。(1)世界は開かれている傾向があり、光と隠れていないことの側に立つ。(2)大地は閉じていること、隠れていること、庇護し維持することの側に立つ。従って、この二つの領域は本質的な対立関係にあり、敵対している。しかし、この対立の側面は絶対的に分明ではない。 大地は概して退くが、世界のなかに伸び上がることもある。例えば、人間に操作されたり「自然」と名付けられたりする。そして、人間の決定と行動は常に完全には支配されていないものの「大地」を基盤とし、その方向へ引きつけられる。 これらは奇妙を通り越して正気の沙汰とは思えぬ主張ともいえる。しかし、ハイデッガーにとっては従来の思考形式から逃れるために必要な方法であった。それにハイデッガーが何に典拠を求めていたかを知ればやや納得もいく。それは古代ギリシャのソクラテス以前の哲学である。
※この「本質的対立」の解説は、「マルティン・ハイデッガー」の解説の一部です。
「本質的対立」を含む「マルティン・ハイデッガー」の記事については、「マルティン・ハイデッガー」の概要を参照ください。
- 本質的対立のページへのリンク