本質的全能者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/17 06:48 UTC 版)
存在が本質的に全能である場合は逆説は解消できる: その全能者は本質的に全能である、故に全能でない者になることはできない。 さらに、全能者は論理的に不可能なことをすることはできない。 全能者が持ち上げられない石を創造することは、上記の論理的不可能性にあたる。故に全能者がそのようなことを要求されることはない。 全能者はそのような石を創造することはできないが、それでも尚全能性を保つ。 この考えでは、必然的に「全能者も論理法則を破ることはできない」という論点を受け入れることになり、確かにこの逆説全体がこのような論点を強力に正当化している。このため、哲学者イブン=ルシュド は全能の逆説をさらに進め、その考えはパリ司教であったエティエンヌ(ステファン)・タンピエ (en:Étienne Tempier) の激しい糾弾を浴びることになった(第一回、第二回断罪 (en:University of Paris (Condemnations) 参照)。石を用いた表現のかわりにイブン=ルシュドは次のように問うた。「神は内角の総和が180度ではない三角形を作ることができるのだろうか。」 @media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}注意して欲しいのだが、後の非ユークリッド幾何学の発見はこの逆説を解決するためには役立たない。次のようにも問うことができるからだ。「楕円幾何学の公準が成立するとして、そこで全能者は内角の総和が180度を超えない三角形を作ることができるか。」 いずれの場合も、本当の質問は、全能者は自分の創造した公理系において論理的に導かれる結果を破る能力を持つのか、という点である。[要出典] この考えが定式化された歴史的な文脈を概観するためには、ジェームズ・バーク (en:James Burke (science historian)) の en:The Day the Universe Changed を参照されたい。テレビシリーズの第二話またはガイドブックの第二章である。レコンキスタの後、アラビアの科学書や哲学書 — それらは古代ギリシア文献の翻訳であることが多かった — が今度はヨーロッパの言葉に翻訳されて欧州の文化人の間に知られるようになった。イブン=ルシュドの難問がパリに届くと、喧々囂々の論議が巻き起こり、そのためパリ大学の神学生は6年間のストライキに突入した。Burkeはこれを評して「この『神の限界』問題はダイナマイトだった」と言っている。 挙げ句、カトリック神学の主流派もレコンキスタによって得られるようになったギリシャ、アラビアの素材を利用するのに甘んじることになった。多くはトマス・アクィナスのお陰である。アクィナスの『神学大全』は「神は論理を拒否し得ない」と断言している。この点で、12世紀のユダヤ人哲学者にして医師であったモーシェ・ベン=マイモーンは『当惑者への手引き』(en:The Guide for the Perplexed)の中でアクィナスの思想と同じ主張を行っている。モーシェ・ベン=マイモーンは否定神学(神は《○○ではない》という否定を通してしか記述できないという論法)の信奉者であった。なにがしら神秘的な観点から、否定的なあるいは Apophatic (言葉にすることができない、程の意)な神学の根本には、神の真のエッセンスは語りうるものではなく、神についての肯定的な記述(訳註: 神は《××である》というような記述)はいかなるものであれ冒涜(ぼうとく)的であり、異端であるリスクを負うという考え方がある。 アメリカ独立戦争のゲリラであったイーサン・アレンは論文『理性: 人間の唯一の神託』 (Reason: The Only Oracle of Man) を書き、そのなかで原罪、弁神論などを古典的な啓蒙運動スタイルで論じた。第三章第四節でアレンは、変化し死ぬことは動物を定義する属性であり、「全能性そのもの」も動物を死すべき運命から救うことはできないと書いている。アレンは論ずる、「谷のない密集した山々が存在したり、私が存在すると同時に存在しない〔ということがあり得ない〕のと同じように、一方が他方なしであることはあり得ないし、神が自然界で他の矛盾を引き起こすこともあり得ない。」友人に理神論者呼ばわりされながらもアレンは、『理性』を通してではあるが、神聖なる存在ですら論理に束縛されると論じたのである。
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