論理的不可能
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/17 06:48 UTC 版)
一部の哲学者は、全能性の定義にデカルトの観点を含めればこの逆説は解消するという姿勢を崩していない。その観点とは全能者は論理的に不可能なことをなし得るというものである: 全能者は論理的に不可能なことをすることができる。 全能者は自らが持ち上げられない石を作ることができる。 全能者は次いでその石を持ち上げる。 このような存在は数学的に2足す2を5にすることもできるし、四角い円を作ることもできるかもしれない。この場合その存在の「全能性」とは、本来的に矛盾であるこれらの記述を乗り越える能力を指す。ハリー・G・フランクファート (en:Harry Frankfurt) の言を用いれば、「もし全能者が論理的に不可能なことを為すことができるならば、彼は彼自身扱うことのできない状況を創造することができるばかりか、一貫性という限界を超えて、自ら扱うことのできない状況を扱うことができる。」 しかし、この方法で逆説を解消することは問題を孕んでいる。定義それ自体が論理的な一貫性を無化してしまうという点である。逆説は解決できるかもしれない。だが、それには痛手を伴う。そのような存在が論理を超越してしまうので、論理はガラクタになり、無意味なものになってしまうのだ。アレンの『理性』は、論理を放棄することで逆説を解消する人々を風刺している。アレンは次のように書いている。「もし彼らが理性〔reason 理由・論理〕抜きで議論しているなら、(というのも、彼ら自身が一貫性を持つにはそう議論せねばならず、)彼らは合理的確信を超越しているし、彼らは合理的議論〔rational argument 理性的議論〕に値しない。」
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