儀式・発話の共進化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 08:19 UTC 版)
儀式・発話の共進化説はクリス・ナイト やジェローム・ルイス、ニック・エンフィールド、カミラ・パワー、イアン・ワッツ らによって熟議される以前に、本来、著名な社会人類学者のロイ・ラパポートによって提案されたものである。認知科学者・ロボット工学者のリュック・スティールズ は、自然人類学者・神経科学者のテレンス・ディーコンがそうである ように、この一般的なアプローチのもう一人の卓越した唱道者である。 これらの学者たちは、「言語の起源の理論」のようなものは存在しえないと主張している。というのは、言語はばらばらの適応ではなく、より広範なもの―特に、全体としてのヒトの記号の文化―の内的な側面なのだからである。子の広範な文脈と独立に言語を説明しようとする試みは、問題に対して解決を提出しないために見事空振りに終わってきた、とこれらの科学者たちは言っている。クレジットカードの発生をクレジットカードがその一部である広範な体系と独立に説明しようとする歴史家を想像できるだろうか? ある種の先進的資本主義社会―電子通信技術とデジタル計算機がすでに発明され、詐欺行為対策が行き届いているような―で制度的に認められた銀行の口座を持っている場合のみクレジットカードの使用は意味を成す。ほぼ同様に、言語も必要な社会機構・制度が一通りそろっていないと働かないであろう。例えば、野生下で類人猿がほかの類人猿とコミュニケーションをとる際には言語は働かない。最も賢い類人猿でもそういう状況下では言語を働かせられない。 嘘と代替物、言語に固有なもの[…]は言語に基づいた構造を有する全ての社会に問題を提起する。これはヒトの社会全てに言えることである。それゆえ、いやしくも言語が存在するならば「The Word」を打ち立てる必要があるし、The Wordは不変的な儀式によって打ち立てられる必要がある、と私は主張する。 — Roy Rappaport, 1979. Ecology, Meaning and Religion, pp. 210-11. この学派の主導者は、言うは易しということを指摘する。デジタルな幻覚と同じく、言葉は本質的に信頼できない。特別に賢い類人猿や、あるいは言葉を発することのできる類人猿ですら、野生化で言葉を使おうとしても、信念をなんら伝達できないであろう。本当に信念を伝えるような霊長類の発声―実際に彼らが使っている―は言葉とは違って、それらが感情的な表現である限りで、本質的に有意味で信頼できるものとなる、というのはそれらは比較的手間がかかっていて偽りづらいからである。 言語は実質的にコストがかからないデジタルなコントラストからなる。純粋な社会的慣習のように、この種のシグナルはダーウィン的な社会世界に関与する―それらは論理的不可能性である。本質的に信頼できないために、言語は、ある種の社会―特に、記号の文化の上での事実(「制度上の事実」と言われることもある)が集団社会的承認を通じて構築・維持されているような社会―において信頼に値するという評価を構築できる場合にのみ働く。いかなる狩猟採集社会においても、記号の文化の上での事実の中で信頼を構築する基本的な仕組みは集団的な「儀式」である。それゆえ、言語の起源の研究者が直面する債務は大抵支持されている以上に多くの学問領域にわたる。それはヒトの記号の文化の進化による発生を総括的に扱うことを必然的に含み、対して言語は重要ではあるが補助的な構成要素にすぎない。 この理論の批判者にはノーム・チョムスキーがいるが、彼はこの理論を「非存在説」―まさに自然科学の研究対象としての言語の存在を否定している―と呼んでいる。チョムスキー自身の理論は、言語は突然完成された形で現れる というもので、これに対して彼を批判する者たちは、儀式・発話の共進化説では「存在しない」ものが―論理的構成物や手頃なSF―チョムスキーの理論ではそういった奇跡的な方法で現れているだけだと応答している。この論争はいまだに解決を見ていない。
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