儀式・身分別石帯とは? わかりやすく解説

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儀式・身分別石帯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/22 04:35 UTC 版)

石帯」の記事における「儀式・身分別石帯」の解説

石のうち円形のものは円鞆(まるとも)と呼んで日常用儀式にも使い方形のものは巡方じゅんぽう)とよんで儀式用であった蒲鉾を板ごと横に切ったような上円下方のものを上(せつじょう)と呼んで『和名抄』。ただし完全な円形丸鞆実例伝世品発掘品ともに奈良時代から近世にいたるまでほとんどなく、この記事について検討が必要である)、鉈尾取り付けることもあった。西安の何家出土品中に銀製合子(ふたつきの箱)があり、中に白玉巡方の石が入っていたが、裏に「純《ママ》方」という墨書見られ、「巡(純)方」の名称は唐に起源することが明らかである。これに対しまるとも」は和語とみられる。 石は身分によって種類決まっていて、奈良時代には五位以上は金銀(もちろんめっきであろう)、六位以下は烏油帯(黒漆をかける)を使用した正倉院聖武天皇使用したラピスラズリのついた腰帶があることからわかるように、身分の高いものは唐の影響受けて次第様々な材質使用するようになった。また六位以下も烏油のかわりに色々な雑石を使用することがはじまり、平安時代初期にはこれが公認されるうになる。(延暦14年三位上の白玉使用公認され延暦18年五位上の玳瑁使用公認された。雑石の使用大同2年にいったん禁止されたが、弘仁元年には再び公認された。)奈良平安初期には地方官衙の役人までが使用したので、雑石の石帯発掘例は全国に多い。『延喜式』「弾正台式」の記述によれば、「白玉の腰帯三位以上か四位参議まで着用可能、玳瑁タイマイ/鼈甲)・瑪瑙・斑犀(サイの角とあるが普通は牛の角代用)・象牙沙魚皮(サメ皮の事だ装束ではエイ皮を指すことが多い)・紫檀五位通用紀州産の石に模様彫ったもの、定摺の石は参議以上、金銀を捺した筋彫りや唐の帯は五位以上。紀州産の石の白く艶のあるものは六位以下には使えない六位以下は漆で黒く塗った(単に黒い色の犀角とする説も有る犀角(烏犀/うさい)を使う。ただし通天の文(筋目模様。これがある犀角は高級品)があるものは許可されない」(意訳)などかなり多様なものがあったとわかる。他に正倉院宝物にもある、天皇日常に使う青石の帯(青金石)などがある。平安時代には家宝とされる名物石帯生まれ鬼形」「獅子形」など文献名を残すものもある。『うつほ物語』には家宝の帯を売った疑われ貴族の子が行方をくらまし出家する話すらみられる一方で地方での発掘例は平安中期以後激減し地方官人使用しなくなっていったことが想定できるのであるこのように平安前期には多種多様であった石帯次第固定化する。平安後期から明治維新より前の慣例述べると、白玉巡方無文の帯は天皇祭事用のみに使用された。それ以外時の天皇束帯には白玉有文巡方使用される公卿白玉有文巡方を重儀に、白玉円鞆無文略儀使用した古記録に「尋常」の束帯とあればこの無文円鞆を使用したとみられる場合が多い。白玉有文円鞆は有文巡方準ずるが、重儀中でも特に大切な行幸節会にはふさわしくないとされた。玉は日本では入手しがたく、かつ加工難しいので(軟玉鉄鋼より硬く硬い石の粉末をつけた糸などでしか加工できない)、近世では白玉称して多く場合白い石をもって代用する瑪瑙四位所用犀角四位五位殿上人以下が使用した瑪瑙及び犀角巡方円鞆ともに無文である。後には脇にあたる部分方形二つずつ、背中にあたる部分円形の石を六~八縫った通用帯が良く用いられるようになった。なお大名所用品では五位であっても白石を使うなどの異式はよくあることである。 大正大礼以後天皇皇族は透瑪瑙白く半透明の石)の有文巡方の帯使用し、透瑪瑙白石などを使用した無文巡方帯を臣下参列者が使用する。これらは一見すると江戸時代以前天皇神事専用白玉無文巡方帯とかわらない前近代慣例はここに廃止されたもの解される。 なお、束帯使用する太刀儀式軽重によって使い分けがあり、平安後期から明治維新より前の時代には石帯関連性があった。すなわちもっとも正式な飾太刀や、飾太刀略した細太刀中でも鞘を紫檀螺鈿にした「螺鈿剣(らでんのたち)」は白玉有文帯と、蒔絵の鞘の細太刀白玉無文とともに使用した。ただし遠距離行幸では有文帯でも蒔絵太刀とともに使用する例はある(紫檀螺鈿より蒔絵のほうが丈夫なので)。上記通り慣例故実整理簡素化した大正大礼以後太刀石帯対応関係なくなっている。魚袋は、束帯着用時でも重儀に限り使用するが、使用するときはふつう石帯の右の一番目二番目石の間に吊るす。本人体型によって吊るす場所は融通した。 ちなみに賀茂臨時祭石清水臨時祭奉納舞に選ばれ舞手は必ず瑪瑙石帯を使うのが慣例であって、本来瑪瑙の帯を使うのは少将だが(臨時祭勅使は中・少将から選ばれる)この時だけは犀角の帯をつける。建前上、日本には瑪瑙の帯は八本しかないとするのが暗黙の了解であったため、舞手は人から借りるなどして用意するためほかの人間使えない。しかしこれはあくまで慣習化されたことであって尊勝寺金堂供養に際して堂童子務めた四位五位官人十人瑪瑙の帯を使用している。 石帯の古い遺品正倉院多数所蔵される。これについで古いのが道明寺天満宮所蔵の伝菅公遺品石帯(平安前期国宝)で、銀に細かな彫刻施したのである。もちろんバックル式である。『延喜式』に記される華麗な帯をほうふつとさせる次に古いのが厳島神社古神宝類中の小型石帯である(平安末期国宝)。これも奈良時代と同じバックル式である。次に古いのが阿須賀神社古神宝類中の犀角帯(室町初期‐中期国宝京都国立博物館)で、床と上手に分かれているが、犀角側面開けられた穴で目立たないように留めてある点が古様である。次に古いのが天野一切経会所用舞楽装束類のなかのもの(室町後期)で、青ガラスを上から糸かがっている。次に古いのが上杉神社所蔵の伝景勝所用品(桃山時代)で、江戸時代の品とまった仕様変わらない(江戸時代遺品は、旧公家大名所用品が数多く残る)。

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