舞楽装束類とは? わかりやすく解説

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舞楽装束類〈(天野社伝来)/〉

主名称: 舞楽装束類〈(天野社伝来)/〉
指定番号 2386
枝番 00
指定年月日 1975.06.12(昭和50.06.12)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 工芸品
ト書
員数
時代区分 室町
年代 享徳3年(1454)
検索年代
解説文: 高野山鎮守天野社に伝来した舞楽装束同社一切経会試楽使用した旨の墨書しるされ童子用の装束である。
 当社舞楽過去においては盛んであり、装束の変遷みられる。さきに永和四年(一三七八在銘紺地牡丹文金裲襠東京国立博物館保管)を重要文化財指定しているが、この装束は、のちの享徳三年一四五四)に新たに調進した多量装束類である。
 技法多種手法に及び、錦あり、刺繍あり、また絞りなど各種がある。錦は平安時代からみられる手法駆使している反面刺繍桃山時代のそれの先駆としての手法使用しており、日本染織史上重要な技法資料であるが、保存がよいので服飾史上にも重要な資料である。

舞楽装束類(天野社伝来)

主名称: 舞楽装束類(天野社伝来)
指定番号 2521
枝番 00
指定年月日 1988.06.06(昭和63.06.06)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 工芸品
ト書
員数 6点
時代区分 室町
年代
検索年代
解説文: 高野山鎮守天野社(丹生都比売神社【にうつひめじんじや】)の一切経会いっさいきょうえに際して行われた舞楽装束である。これらの舞楽装束類は、現在高野山金剛峯寺伝えられる舞楽装束類(一部装束享徳三年一四五四年の調進銘がある)と一連のものと考えられる天保七年一八三六)に狩野養信【おさのぶ】が筆写した『高野山学侶古器及楽装束図』全六巻(東京国立博物館保管)には、金剛峯寺所蔵の舞楽装束類とともに本件の舞楽装束類六点が写されており、また花輪違半臂【はなわちがいもんはんび】に「天野一経会二十具内」の墨書があることから、これらはかつて高野山天野社に伝来した装束類であることがわかる。
 亀甲花菱半臂【きつこうはなびしもんはんび】は紺綾地亀甲を黄、花菱を白のやや太め平糸刺繍し、襟と袖ぐりに黄地襷花文錦【きじたすきかもんにしき】を飾っている。花輪違半臂【はなわちがいもんはんび】は紺綾地花輪違文を絞り染あらわしたもので、巧緻木目絞り美しく室町時代数少ない絞り染実態伝えている。表袴うえのはかま】は瓜文を織り出した織色綾【おりいろあや】(経糸と緯糸色を変え、地と文様異色織りあらわした綾)地に向丸文刺繍し裾継すそつぎ】には黄地襷花文錦(亀甲花菱半臂の襟・袖ぐりと共裂)を用いる。その刺繍亀甲花菱同様な太めの糸で繍い、地の織色綾の文様堂々としてのびやかである。花輪違文〓括袴【はなわちがいもんくくりばかま】は四幅【よの】の括袴で、表地経糸に縹、緯糸に縹と黄を用い、縹地に黄色花輪違文を織り出した錦である。この錦は経三枚組織【たてさんまいあやそしき】で、裏面では地と文様をあらわす色が反転し表と裏のあいだに袋状の空間ができる特色を示すわが国中世独自に見られる風通倭錦ふうつうようやまとにしき】である。花兎牡丹文括袴【はなうさぎぼたんもんくくりばかま】も四幅の括袴で、表地には作土つくりつち】ふうの牡丹文と花兎文を織り出した中国明代)の銀ぎんらん】を用いている。また、平緒【きりひらお】は紺麻地に千鳥文を刺繍した垂れ部分のみが残っており、その刺繍亀甲花菱や向丸文同工技法示している。以上六点の舞楽装束は、室町時代特色を示す数少ない舞楽装束遺品であり、刺繍絞り染、綾、錦など各種染織技法伝えて貴重である。
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工芸品:  舞楽螺鈿蒔絵硯箱  舞楽装束  舞楽装束類  舞楽装束類  色々威五十八間筋兜  色々威甲冑  色々威胴丸



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