大小相対 (だいしょうそうたい)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 00:48 UTC 版)
「五重相対」の記事における「大小相対 (だいしょうそうたい)」の解説
仏教には「大乗教」と「小乗教」の区別があり、これを比較相対することを大小相対と言う。 大とは「大乗」のことで、大きな乗りもののこと。 小とは「小乗」のことで、小さな乗りもののこと。 大乗教とは大きな乗りものを、小乗教とは小さな乗りものを意味する。これについて日蓮は、 「小乗教と申す経は世間の小船のごとく、わずかに人の二人三人等は乗すれども百千人は乗せず。設(たと)ひ二人三人等は乗すれども、此岸(しがん)につ けて彼岸へは行きがたし。又すこしの物を入るれども、大なる物をば入れがたし。大乗と申すは大船なり」(乙御前御消息 新編895) と述べられ、成仏という目的地まで大勢の人を安全に連れていくには、その乗りものが大きく完全なものでなければならないことを説いている。 小乗教は、釈迦が初期の阿含時において、自己の救済のみを求める声聞(しょうもん)・縁覚(えんかく)等のために説いた自己の利益を中心に置く教説であり、一切衆生を成仏させるという仏教本来の目的からは遊離してう。(現在、小乗と呼ばず、上座部と呼ぶ。それは、教団内の指導的な長老が「上座」に座ることからの命名である。) これに対して大乗教は、釈迦が、悩みを抱える多くの民の悩みに答えてきた、華厳・方等・般若時の教説であり(この時は悩みをお聞きしそれに答えた時期)、特に釈迦が72歳での自らの教説を再考し開眼した後に教説を説いた法華時(法華経)を通じて(この時期は、釈迦自らが民に説いた時期)、多くの人々の救済を願う菩薩のために説いた教説であり、人間は「賢くあり、他へは優しくあれ」という教説で、この世のあらゆる人々の救済を説くものであり、小乗教には説かれていない深遠な法理が明かされている。 大乗教の教説が、この世のもの全て(人間のみではなく、動物・植物等生命・形あるもの全て)に視点を置き、この世のあらゆるものとの繋がりを大事にし、この世に生きる人間全ての救済を目的としていることから、小乗教より大乗教が勝れているとされる所以である。
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