鉱石の搬出
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 09:09 UTC 版)
開鉱当初の鉱石は、鉱山から美笛の支笏湖畔まで自社線の軌道を利用したトロッコ。舟に積み替えて支笏湖を横断し、対岸の王子軽便鉄道湖畔駅で小型貨車に積み替え。軽便鉄道で苫小牧駅まで輸送した後、国鉄の貨車に再度積み替えて上川町の天童精錬所(天幕駅に隣接)まで運搬して加工した。あまりに運搬が煩雑なため、1941年には山元に精錬所を建設するなど輸送体制の軽減が行われたが、支笏湖の舟運は昭和40年代まで続けられた。(白銀丸 19ton ) 大阪の造幣局隣接の自社工場で電気精錬し造幣局で検認。
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