王子軽便鉄道とは? わかりやすく解説

王子軽便鉄道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/10 09:22 UTC 版)

王子軽便鉄道(おうじけいべんてつどう)[1]は、北海道苫小牧市王子製紙苫小牧工場から千歳市烏柵舞(うさくまい)の千歳川上流に設けられた自社工場向け水力発電所支笏湖畔とを結び、発電所の建設資材や支笏湖周辺の森林資源を運搬する目的で敷設された軽便規格専用鉄道である。貨物輸送のための鉄道であったが、後に一般客扱いも行った。


注釈

  1. ^ 同軌道については千歳市史編集委員会専門部員による美笛‐千歳鉱山専用軌道の一考察 (千歳市公式HP)が詳しい。
  2. ^ セメント節約のために坊主山(現・王子山)から採取した火山灰を混ぜた(『苫小牧市史 上巻』1821頁)。
  3. ^ 『大正11年度鉄道統計資料』にて哩程が1M13Cに変更。
  4. ^ 『写真集 王子製紙と苫小牧の100年』122頁、「山線列車運行図表 1937年(昭和12年)1月21日」において六哩駅で交換が行われている。
  5. ^ 『志古津』第5号の記述からは無人駅から交換駅となった(有人化された)と解釈される。
  6. ^ その他、王子製紙苫小牧工場 1960年12月発行の『50年の歩み 1910-1960』巻末の略年表にて日付けは不明だが同年5月山線軌道廃止となっている。一方、『苫小牧市史』及び『千歳市史』『増補千歳市史』では8月(いずれも日付不明)が廃止となっているが、『苫小牧市史 下巻』1122頁の記述では「8月をもって撤去された」と書かれており、8月は軌道が撤去された時期であった可能性がある。
  7. ^ 御料林の管理者宿舎(主任小屋)は大正末期に設置された。その後、1940年(昭和15年)から直営生産事業が始まり、十三哩駅付近には土場が作られて、林業関係者の飯場など集落が形成された。
  8. ^ 1924年(大正13年)に鉄橋に架け替えられる以前は木製橋。いずれもワーレントラス構造の橋で、鉄橋は山線鉄橋の名称で現在も観光名所として残されている。2007年(平成19年)には経済産業省より4号機関車と共に近代化産業遺産の指定を受けた。
  9. ^ 『増補千歳市史』によると、当時の支笏湖は現在より水面が5m程低かった。水面下に没している状態は、1975年撮影航空写真国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス)でも確認できる。
  10. ^ なお、小熊著『日本の森林鉄道 上巻』によれば8kg及び12.5kgと記述されており、20ポンドではなく25ポンドの可能性有り。
  11. ^ a b 『写真集 王子製紙と苫小牧の100年』122頁「山線便乗券」表面写真および116頁の文中より。便乗券の表記では 苫小牧-六哩-勇振-分岐点-湖畔-「第一 水溜」-「第三 発電所」-「第四 発電所」(「」は2段表記で1段目は少し小さい字体。段の分割位置は空白で示した。)。勇振は116頁によれば十哩駅。また水溜は122頁の「山線列車運行図表」では「第一」とのみ書かれている。
  12. ^ 『大正5年度鉄道統計資料』にて「本線十三哩四十五鎖-支笏湖(支線)2M00C」の記述となっており、分岐点は13M45C約21.8㎞地点と推定される。
  13. ^ 昭和17年の北海道鉄道バス千歳駅-支笏湖路線の停留所は、千歳駅-....-烏柵舞-孵化場-山線終点(王子山線・上千歳)-第四発電所-第三発電所-水溜-分岐点-支笏湖となっており、第四発電所よりさらに下流側に上千歳という駅が設けられている。一方、『写真集 王子製紙と苫小牧の100年』では第四発電所駅を「上千歳」としており、北海道鉄道バスの第四発電所停留所は山線駅とは異なる地点の可能性もある。
  14. ^ 「十哩駅」の記述は、『千歳市史』661頁、『苫小牧市史 下巻』1142頁の挿入地図の双方に見られる。また、苫小牧の資料図には十哩はあるが、十二哩は記載されておらず、千歳市史の駅一覧記事でも同様に十哩はあるが十二哩はない。この十二哩地点には「丸山遠見」(昭和17年に山火事の見張り小屋として設置された。『苫小牧市史 下巻』1959頁。)という展望地や、保線事務所があった。ちなみに廃止後すぐの1953年(昭和28年)の苫小牧市営バス支笏湖線の停留所は、苫小牧駅-緑町-高丘-四哩-六哩-十哩-十二哩-丸山-分岐点-翠明橋-支笏湖で、十哩がある一方、高丘は三哩地点に相当。

出典

  1. ^ 名称は『王子製紙社史 第4巻』185頁による。なお、『苫小牧市史 下巻』1123頁も『千歳市史』661頁も同名称を使用している。
  2. ^ 『苫小牧市史 上巻』1807-1808頁。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 『苫小牧市史 下巻』1122-1130頁。
  4. ^ 特産ヒメマス使い「山線」駅弁を開発 支笏湖畔の店、きょう発売朝日新聞』朝刊2020年9月18日(北海道面)同日閲覧
  5. ^ 『苫小牧市史 上巻』1820-1821頁、『苫小牧市史 下巻』1949頁。
  6. ^ a b c d e 『増補千歳市史』806頁。
  7. ^ 『大正5年度鉄道統計資料』、
  8. ^ 『大正11年度鉄道統計資料』。
  9. ^ 『王子製紙社史 第4巻』189頁。
  10. ^ a b c d e f g 千歳市公式HP『新千歳市史』機関誌『志古津』第5号(PDF)。
  11. ^ 『増補千歳市』1271頁(年表)。
  12. ^ a b c d e f 千歳市公式HP『新千歳市史』機関誌『志古津』より支笏湖歴史年表2015(PDF)。
  13. ^ a b 『増補千歳市史』793頁。
  14. ^ 『苫小牧市史 下巻』1952-1961頁。
  15. ^ 『写真集 王子製紙と苫小牧の100年』49頁、『王子製紙株式會社苫小牧工場實況寫眞帖』(明治44年8月1日 王子製紙株式会社発行)の複写説明文より、第一発電所の有効落差は420フィート、約128m。
  16. ^ 『増補千歳市史』749頁、『苫小牧市史 下巻』1951頁。
  17. ^ 『増補千歳市史』749頁等。
  18. ^ a b 『大正14年度鉄道統計資料』。
  19. ^ a b 『増補千歳市史』785頁。
  20. ^ 『千歳市史』662頁。通年運転以前の大正11年-昭和10年の内いずれかの年のデータ。
  21. ^ 『日本の森林鉄道 上巻』。
  22. ^ 『千歳市史』661頁。
  23. ^ 『苫小牧市史 資料編 第一巻』791頁。
  24. ^ 『王子製紙社史 第4巻』188-189頁。
  25. ^ 『千歳市史』218-233頁(大正8年-10年の騒動)、245-248頁(昭和22年の運動)。
  26. ^ 『千歳市史』333頁。
  27. ^ 『写真集 王子製紙と苫小牧の100年』122頁の「山線便乗券」裏面写真より。
  28. ^ 支笏湖のシンボル・山線鉄橋 土木遺産に認定”. 『苫小牧民報』 (2018年10月2日). 2018年10月7日閲覧。


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