中ツ道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/21 08:40 UTC 版)
中ツ道は、上ツ道と下ツ道の間約2.1kmの所を平行して通り、橿原市の天香具山北麓から奈良市北之庄町に至る直線道である。道筋は現在の奈良県道51号天理環状線と概ね合致・平行している。南は藤原京の東京極をなし、北ではのちの平城京の東京極となった。更に南は香具山を迂回し橘寺へ至るため、近世は橘街道と呼ばれた。中ツ道また飛鳥の中心部を通っている。南の延長線上に「ミハ山」があり、『万葉集』 (13-3230) にも詠まれている。その「ミワ山」が「神名火山」で、「神岳」である吉野に通ずる道しるべであるかも知れない。更に南下すれば芋峠を経て吉野に至る。近江朝廷を脱出した大海人皇子は、この中ッ道を通って吉野の嶋宮に入ったと推測されている。 平安時代には吉野詣で賑わい、御堂関白記には藤原道長もこの道を経て吉野へ向かったと記されている。他の道に比べれば形跡はあまりはっきりと残っておらず、途切れがちな印象である。 2013年5月11日に、中ツ道の遺構とみられる跡が発見されたと、調査した奈良県立橿原考古学研究所が発表した。天理市喜殿町の県道拡幅に伴う調査で、幅約2.2m、深さ約70cmの側溝跡とみられる溝が発見され、その西側で幅約3m、南北約15mにわたって路面跡とみられる遺構が出土した。砂混じりの土を突き固めた舗装を行っており、側溝跡からは土器なども出土しており、それらの年代などから平安時代後期まで道路として使われていたと見られる。
※この「中ツ道」の解説は、「大和の古道」の解説の一部です。
「中ツ道」を含む「大和の古道」の記事については、「大和の古道」の概要を参照ください。
- 中ツ道のページへのリンク