香具山とは? わかりやすく解説

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かぐ‐やま【香具山/香久山】

読み方:かぐやま

天香山(あまのかぐやま)


大和三山
香具山
畝傍山
耳成山

名称: 大和三山
 香具山
 畝傍山
 耳成山
ふりがな やまとさんざん
 かぐやま
 うねびやま
 みみなしやま
種別 名勝
種別2:
都道府県 奈良県
市区町村 橿原市
管理団体
指定年月日 2005.07.14(平成17.07.14)
指定基準 名3,名10,名11
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: 大和三山は奈良盆地南部位置し、香具山(152.4m)、畝傍山(199.2m)、耳成山(139.7m)の3つの独立丘陵から成る。香具山は多武峰から北西延びる支稜線浸食により切り離され独立丘陵として残存したもので、畝傍山耳成山それぞれ沖積盆地底に位置する円錐形いわゆる死火山である。
3つの山は古来、有力氏族祖神産土神など、この地方住み着いた神々鎮まる山として神聖視され、その頂部や麓に『日本書紀』に記す天香具山社、『延喜式』の式内社である畝火山口坐神社耳成山口神社などが祀られてきた。
また、高市皇子(654~696)の香具山宮や推古天皇(554~628)の耳行宮など皇宮造営ともされ、特に『万葉集』の「藤原宮御井の歌」と呼ばれる有名な長歌からは、694年持統天皇645702)が造営した藤原宮は大和三山に囲まれ平地位置したことが知られる『続日本紀』に記す和銅元年(708)の「平城遷都詔」によると、平城宮では「叶四禽図、三山作鎮」土地選地条件とされたことから、藤原宮造営当たって東・西・北の三方それぞれ香具山・畝傍山耳成山位置する立地条件宮都を営む上で重要な条件とされたことが想定できる
大和三山を詠んだ和歌多く、特に『万葉集』には中大兄皇子柿本人麻呂和歌をはじめ、持統天皇の「春過ぎて夏来るらし 白たへの衣ほしたり 天の香具山」など有名な和歌多数収められている。『万葉集』のみならず古今和歌集』や『新古今和歌集』など後続勅撰和歌集にも大和三山を詠った和歌数多く見られ、大和三山は重要な歌枕として、その観賞上の地位確立していった。
さらに近世においては、『大和名所図会』などの地誌案内記をはじめ、本居宣長の『菅笠日記』などの紀行文においても紹介され万葉世界代表する名所として広く知れわたるようになった
明治維新に伴い、大和三山の一部御料地として帝室林野局管理下に置かれたが、第2次世界大戦後多く区域国有林野として農林水産省管理下に置かれた。アカマツからアラカシヒノキリョウブなどが優占する林相へと遷移しており、全体として良好な森林景観維持されている。
上のように、大和三山は日本古来神々鎮座する山として神聖視されるとともに古代宮都造営に際して精神上又は景観上の重要な意義をもち、歌枕関わる名所としても遍く知られた。その地形樹叢がもつ観賞上の価値名所的・学術的価値はともに高い。
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天香久山

(香具山 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/27 09:55 UTC 版)

天香久山
山の南側より
標高 152.4 m
所在地 奈良県橿原市南浦町
位置 北緯34度29分45秒 東経135度49分06秒 / 北緯34.49583度 東経135.81833度 / 34.49583; 135.81833座標: 北緯34度29分45秒 東経135度49分06秒 / 北緯34.49583度 東経135.81833度 / 34.49583; 135.81833
山系 龍門山塊
プロジェクト 山
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天香久山天香具山(あまのかぐやま、あめのかぐやま)、または香久山香具山(かぐやま)は、奈良県橿原市にある山。畝傍山耳成山とともに大和三山と呼ばれる。標高は152.4メートルと三山の中では標高は2番目である。他の二山が単独峰であることに比して多武峰から続く竜門山地の端にあたる[1]

歴史的風土特別保存地区[2]と国の名勝に指定されている。

概要

天香久山周辺の空中写真。1985年撮影の2枚を合成作成。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。

太古の時代には多武峰から続く山裾の部分にあたり、その後の浸食作用で失われなかった残り部分といわれている。山というよりは小高い丘の印象であるが、古代から「天」という尊称が付くほど三山のうち最も神聖視された。天から山が2つに分かれて落ち、1つが伊予国(愛媛県)「天山(あめやま)」となり1つが大和国「天加具山」になったと『伊予国風土記』逸文に記されている[3]。また『阿波国風土記』逸文では「アマノモト(またはアマノリト)山」という大きな山が阿波国(徳島県)に落ち、それが砕けて大和に降りつき天香具山と呼ばれたと記されている、とされる[4]

藤原京の東にあることにより太陽信仰の地であったともいわれる[5]。現在、山頂からは畝傍山を望むことができ[1]、その山頂には國常立命を祭神とする國常立(くにとこたち)神社があって、2つの小さな祠のうちの1つには高靇神が祀られている。山の北麓には占いを司る櫛真智命神(くしまちのみことのかみ)[6]を祭神とし、境内の波波枷の木占いに用いられてきた天香山(あまのかぐやま)神社[7]、南麓には天照大神岩戸隠れの伝承地とされる岩穴や巨石を神体とした天岩戸(あまのいわと)神社がある[8]。また東側には県立「万葉の森」が造られ[9]、山の南東部には香久山公園(44,084平方メートル)が整備されている。

古代より畝傍山と共に神事に用いる陶土の採集場所として知られる[10]。天香久山には「赤埴」と「白埴」の2種があるとされ、赤埴は山頂の斑れい岩が風化したものとみられている[11]。伝承として、神武天皇が大和に入る際、天津神の夢告があり、天香久山の土を取って来て、それで土器を作り、天津神を祀るならば、刃に血を塗ることもなく大和平定を果たすことができると伝えられ、その通りにした結果、お告げ通りになった。また崇神天皇の世に反乱を企てた武埴安彦命の妻吾田媛は、決起前に天香久山の土を取ろうとしたとされ、天香久山を押さえることが大和支配につながると考えられていた[12]。その他にも天照大神がこもった際、そこから引き出すために天香久山の真坂樹(真榊)が必要とされ、天照大神を祀る際の物資調達のための山という側面もみられる(前同p.15.)。

「天」を含む「山」と「山」、および「天」を含まない「香山」と「香山」の各表記があるが、国土地理院地図では「天香久山」とされる[3]。国の名勝の登録の名前としては「香具山」である[13]。橿原市では地区の名称を「香久山」としており、北北東約2キロメートルに位置する西日本旅客鉄道桜井線にある駅も香久山駅である[14]。なお神話で言及される同名の山の表記で、別に「天香山」がある。

膳氏(かしわでうじ)の本拠地にして、聖徳太子妃・膳部菩岐々美郎女の生家である。山の北の地名は膳夫町(かしわてちょう)である。

古来万葉集などで歌われてきた。万葉集には単独で9首詠まれており、全体で13首に登場する。その中で香久山の表記は香具山、香山、香来山、高山、芳来山、芳山と一定しない。以下に代表的な歌を記す。

「大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙り立ち立つ 海原は かまめ立ち立つ うまし国ぞ あきづ島 大和の国は」(巻1-2)
原文「山常庭村山有等取與呂布天乃香具山騰立國見乎為者國原波煙立龍海原波加萬目立多都怜𪫧[15]國曽蜻嶋八間跡能國者」
「香具山は 畝傍ををしと 耳梨と 相争ひき 神代より かくにあるらし 古(いにしへ)も 然(しか)にあれこそ うつせみも 妻をあらそふらしき」(巻1-13)
原文「高山波雲根火雄男志等耳梨與相諍競伎神代従如此尓有良之古昔母然尓有許曽虚蝉毛嬬乎相挌良思吉」
「春過ぎて 夏来たるらし 白たへの 衣干したり 天香具山」(巻1-28)
「わすれ草 わが紐に付く 香具山の 故(ふ)りにし里を 忘れむがため」(巻3-334)
  • 作者不詳
「いにしへの 事は知らぬを われ見ても 久しくなりぬ 天の香具山」(巻7-1096)
「久方の 天の香具山 このゆふべ 霞たなびく 春立つらしも」(巻10-1812)

脚注

  1. ^ a b 「ウオーキング - 大和三山」『月刊よみっこ』第130巻、読売奈良ライフ、2012年10月、38-39頁。 
  2. ^ 国土交通省・歴史的風土保存区域及び歴史的風土特別保存地区指定状況
  3. ^ a b 奈良県の歴史散歩 下、23頁
  4. ^ 栗田寛(Japanese)『古風土記逸文考証(下)』大日本図書、1903年6月18日https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/993516。「『阿波國ノ風土記ノ如クハ、空ヨリ降リタル山ノ大キナルハ、阿波國ニ降リタルヲアマノリト山ト云、其山ノクダケテ大和ニフリツキタルヲ、アマノカク山ト云トナン申、先覺 萬葉鈔』著者は伊予国の故事が誤って伝わったものかと推測している。『アマノリト』は版によっては『アマノモト』と記され、こちらが正しいとも(井上通泰 上代歴史地理新考)」 
  5. ^ 近畿中国森林管理局 奈良森林管理事務所 - 大和三山風景林
  6. ^ 大麻止乃豆乃天神社の祭神でもある。
  7. ^ 天香山神社(橿原市公式サイト)
  8. ^ 天岩戸神社(橿原市公式サイト)
  9. ^ 奈良県の歴史散歩 下、26頁
  10. ^ 真弓常忠『天香山と畝火山』学生社版、1971年。 
  11. ^ 成迫法之 (11 November 2010). 天香久山と畝傍山の埴土研究-その土器原料としての物性について- (PDF). 全国地質調査業協会連合会「技術フォーラム2010」.
  12. ^ 遠山美都男『天皇と日本の起源「飛鳥の大王」の謎を解く』(講談社現代新書、2003年)p.15.
  13. ^ 大和三山”. 国指定文化財等データベース. 2024年12月20日閲覧。
  14. ^ 奈良県の歴史散歩 下、25頁
  15. ^ りっしんべん(心部)に「可」。

参考文献

  • 奈良県高等学校教科等研究会歴史部会 編『奈良県の歴史散歩 下 奈良南部』山川出版社〈歴史散歩 29〉、2007年。 ISBN 978-4-634-24829-8 

関連項目

外部リンク


香具山

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 05:52 UTC 版)

九州王朝説」の記事における「香具山」の解説

万葉集の香具山は、久留米市南方の山(古田武彦鶴見岳説) 万葉歌では香具山から見えを詠った歌(1-2)があるが、奈良県の香具山からは海は見えない。また標高が152.4メートルしかなく奈良県山々の中で際立っているとは言い難い。山常庭 村山有等 取與呂布 天乃香具山 騰立 國見乎為者 國原波 煙立龍 海原波 加目立多都 怜可國曽 蜻嶋 八間跡能國者 やまとにむらやまあれど とりよろふ あまのかぐやま のぼりたち くにみをすれば くにはらは けぶりたちたつ うなはらは かまめたちたつ うましくにあきづしま やまとのくには(山門郡 - 大和町 (佐賀県)には たくさんの山があるが そのなかで際立っている 天の香具山登り立って 領土見渡せば 人々が暮らす平野には 炊煙が立ち昇り 海原では 飛び 素晴らしい国だよ (秋津島ヤマトの国は)1-2

※この「香具山」の解説は、「九州王朝説」の解説の一部です。
「香具山」を含む「九州王朝説」の記事については、「九州王朝説」の概要を参照ください。

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