耳成山口神社とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 文化 > 神社名 > 耳成山口神社の意味・解説 

耳成山口神社

読み方:ミミナシヤマクチジンジャ(miminashiyamakuchijinja)

教団 神社本庁

所在 奈良県橿原市

祭神 大山祇神 ほか

神社名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

耳成山口神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/10 10:17 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
耳成山口神社
所在地 奈良県橿原市木原町
位置 北緯34度30分53.3秒
東経135度48分22.4秒
座標: 北緯34度30分53.3秒 東経135度48分22.4秒
主祭神 高皇産霊神
大山祗神
社格 式内社(大)
郷社
創建 不詳
本殿の様式 春日造
例祭 10月13日
テンプレートを表示

耳成山口神社(みみなしやまぐちじんじゃ)は、奈良県橿原市耳成山大和三山)にある神社。「山口神社」とあるが山麓ではなく山の八合目程の位置にある。大和国の山口社六社(飛鳥・石村・畝火・忍坂・長谷・耳成)のうちの1社で、皇室の舎殿用材を切り出す山の神として祀られていた。また、同境内には金刀比羅神社稲荷神社白龍大神も祀られている。

安産に御利益があるとされる。

歴史

創建は定かではないが[1]、古くは『正倉院文書』の正税帳730年(天平2年)に天皇より稲を給わったことや、『延喜式神名帳』に大社として月次祭新嘗祭を仰せつかったとの記載がある。また、806年(大同元年)や859年(貞観元年)9月などに、天皇の遣使によって雨乞いの神事が行われたと記録が残っている。

1651年(慶安4年)、山之坊の村民が神木を伐り荒らしたことを切っ掛けに神社を中心にした山の管理や所有争論が起こり、1702年(元禄15年)、「耳無山天神ハ式内之社耳無山口神社」とすることで決着した。その後、山之坊の村民は神霊を山之坊山口神社に遷座している[2]。 この間、建物が焼失するなど荒廃していたが、1748年(寛延元年)8月、耳成村氏子らが現在に残る本殿拝殿を再建し、石原田・木原・葛本・新賀・常磐・山之坊地区の氏神として祀られている。

祭神

その他

奉納されている算額
  • かつて「耳無山」ともされていた名残で参道入り口の鳥居には「耳無山」と書かれている。
  • 1854年(安政元年)に奉納された和算の問題と解法が書かれた算額がある。

脚注

  1. ^ 成務天皇神託によって創建されたという説がある。
  2. ^ 『寺院神社大事典(大和紀伊)』(平凡社

参考文献

  • 現地案内板
  • 小野恵美雄、島岡宏『写真集明治大正昭和橿原 : ふるさとの想い出65』、安産の御守り(耳成山口神社)、国書刊行会、1979年

外部リンク



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「耳成山口神社」の関連用語

耳成山口神社のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



耳成山口神社のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの耳成山口神社 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS