中ソ対立後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 15:53 UTC 版)
「長征 (ロケット)#歴史」も参照 ソ連の専門家が中国を離れた僅か17日後の1960年9月10日、中国製推進剤が使われたR-2ロケットが打ち上げに成功した。その二ヵ月後、中国の短距離弾道ミサイル東風1号の初の打ち上げが1960年11月5日に行われ成功した。1962年3月21日には準中距離弾道ミサイル東風2号が初めて試射されたが、失敗した。 冷戦が激化していく中、毛沢東は1963年12月に中国のミサイル防衛システム能力を開発することを決定する。1964年2月2日の会議では「640指示」(後の640計画として知られる)が承認された。ミサイルの開発は続けられ、東風2号の改良型東風2号Aの発射試験が1964年6月29日に成功し、1966年には配備が始められた。 1964年7月19日、観測ロケットT-7A(S1)の打ち上げと回収に成功。生物学的実験のため8匹の白鼠を搭載して、603基地(安徽广德誓节渡中国科学院六〇三基地)より打ち上げられた。 1964年10月16日、初の中国核兵器(コードネーム596)が核爆発に成功した。同年10月27日、核弾頭を装備した東風2号Aミサイルが酒泉より発射され、20キロトンの核弾頭がロプノールの標的上空569mで爆発した。1966年11月山西省に国内二ヶ所目となる弾道ミサイル発射実験場、華北ミサイル試験場(华北导弹试验场)を建設することが決定する。 1966年12月26日、中国は初の中距離弾道ミサイル東風3号の試験に成功する。 1967年3月、開発中の092型弾道ミサイル潜水艦にあわせて、潜水艦発射弾道ミサイル巨浪1号の開発を始める。 超大国の米ソが月への人類到達で熾烈な宇宙開発競争が頂点に達しているとき、毛沢東と周恩来は1967年7月14日、中国が遅れをとるべきでなく、中国独自の有人宇宙計画を始めることを決定した。1968年1月に中国初の有人宇宙船が曙光1号と名づけられた。1968年4月1日航天医学工程研究所が設立され、中央軍事委員会は宇宙飛行士選定の指令を出した。また、ソ連という新たな脅威に対応して、国境から離れた西昌市の山間部に新しい射場、27基地を建設することが決定した。当時はこの射場から有人ロケットを発射する予定だった。 1968年8月、初の衛星打ち上げロケット、風暴1号(风暴一号)の開発が上海第二機械電気産業局(Shanghai’s 2nd Bureau of Mechanic-Electrical Industry)で始まる。ロケットの2段目は東風5号を利用した。数ヵ月後、これと平行する形で、東風5号をベースにした衛星打ち上げロケット長征2号の開発が北京の第一宇宙学会(First Space Academy)で始まる。 東風4号は長征1号の1段目と2段目に使用され、3段用は固体ロケットモータを新たに開発した。1969年11月16日に行った初発射は失敗してしまう。 1970年2月11日、日本初の人工衛星おおすみが打ち上げられ、日本に先を越されてしまう。約2ヵ月後の4月24日、長征1号による中国初の人工衛星東方紅1号(重量173kg)の打ち上げに成功する。これはソ連、アメリカ、フランス、日本によって最初に打ち上げられたどの衛星よりも重い衛星であった。長征1号の3段目には特別に遠心力によって展開される40 m2の太陽反射板が取り付けられており、これによって通常肉眼では見えにくい衛星が、東方紅1号に限っては2から3等級となって見やすくなっている。 1971年3月3日、最後の長征1号を使用して中国2つ目の人工衛星、磁気センサと宇宙線/X線検知器を搭載した実践1号を打ち上げた。 核兵器開発と人工衛星の打ち上げに成功し、自信をつけた中国は「714計画」として知られる、曙光1号によって1973年までに2名の宇宙飛行士を目標とした有人宇宙計画を1971年4月に正式に承認した。最初の宇宙飛行士の選考は1971年3月15日にすでに終了しており、19名が選ばれていた。しかしこの有人計画は政治的混乱によりすぐに中止となった。 1972年8月10日、新しい衛星打ち上げロケット風暴1号が打ち上げされるが、部分的成功に終わる。風暴1号は長征2号に似ていたが、政治的な事情(文化大革命)が原因で同時開発されていた。風暴1号の業績は長征2号と比べるとあまりにも乏しく、失敗作といえる。 元々曙光1号を打ち上げる予定で設計されていた長征2号Aが1974年11月5日に初試験され、中国初の回収式衛星FSW-0-0(返回式卫星)が打ち上げられた。しかしこれは失敗する。長征2号Aの改良型長征2号Cが1975年11月26日、回収式衛星FSW-0-1の打ち上げに成功する。
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