路線対立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 02:23 UTC 版)
第二次世界大戦後の国語審議会は、国語ローマ字化論者、または、漢字を廃止し仮名文字化しようとする論者(カナモジ論者)の発言力が大きかった。会長の土岐がローマ字論者であったほか、松坂忠則(カナモジカイ理事長)・伊藤忠兵衛らカナモジ論者の顔ぶれが並んだ。審議内容としても、「地名・人名のかな書きについて」(1961年報告)など、国語表記の仮名文字化に関する議論が行われていた。 ローマ字論者・カナモジ論者らの改革派(表音派)と、表音化に疑問を呈する慎重派(表意派)とは、ことごとく対立した。第5期に当たる1961年3月の総会で、国語審議会委員等推薦協議会のありかたをめぐって、対立は決定的となった。委員の推薦にあたって、毎回、同じ顔ぶれの多数の改革派が選出されることに反対するとして、慎重派の宇野精一・成瀬正勝・山岸徳平・塩田良平・舟橋聖一が退席・脱退した。荒木萬壽夫文部大臣は翌々日の記者会見で、審議会委員の選出方法・国語改革の実施方法を再検討したいと語った。この経緯は社会的に大きな反響を呼んだ。 6月開かれた推薦協議会で、緒方信一文部次官は、審議会のあり方についての基本問題を次期(第6期)審議会で検討するよう要望した。第6期審議会委員の人事は難航し、宇野のほか井上靖・時枝誠記の名も挙がったが辞退された。 1962年、内閣は「国語審議会令の一部を改正する政令」を公布した。国語審議会は文部大臣の諮問に応ずる機関となり、同時に、委員の推薦方式廃止・ローマ字調査分科審議会の廃止・会議の原則公開の廃止などが決められた。かくして、国語審議会においては、国語の表音化についての議論は鎮静した。 第6期の審議会では、「国語の改善について」が可決された。文中、「過去における伝統的なものと、将来における発展的創造的なもののいずれをも尊重する立場に立ちながら、各方面の要求を考慮して、適切な調和点の発見に努めなければならない」とあるとおり、審議会は融和的な方向へ向かうこととなった。
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