路線変更の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/06 20:47 UTC 版)
戦後日本の変態文化のルーツとなった『ビリー』が変態路線に移る経緯には中沢慎一と小林小太郎の間で二通りの説明がなされている。 編集発行人の中沢慎一によれば「その頃ね、変態写真があったの。結果的に下請けとして組むことになるVIC出版にオシッコ物とか変態物のビニ本の写真があったのよ。ただ裸の写真載せても売れないだろうっ、てんで変態雑誌にチェンジしたの」と証言しており、一方で実質編集長だったVIC出版の小林小太郎は「漫画家の平口広美さんと親しかった中沢さんが、彼にインタビューしてやってくれって言うわけ。(中略)終わった後の雑談で『最近何か面白いことありました?』『死体写真集が手に入った』って。何か、南伸坊さんから頂いたらしいんだけどね。で、平口さんからそれを見せてもらった、その瞬間だよ。あ、これだ、って。いけるぞ、って」と証言している。 総括するとVIC出版が編集していたビニ本の変態写真にヒントを得た中沢が変態のコンセプトを雑誌に打ち出し、同誌に死体写真を載せるなどして鬼畜系/ゲテモノ路線を加速させたのは小林ということになる。後に小林は「今でもやっぱりあれに似た雑誌って無いね。ほんとに好き勝手に作ってたんだよね。あの視点ってのは俺、今も変わってないよ。よくやらせてくれたよね。でも、後で分かったんだけど『何やってもいいよ』って中沢さんが言ってくれたのは、その頃白夜が経営ヤバくて、もう開き直ってたってことらしいよ。でもそのおかげで『Billy』が誕生して、最終的には7万部いってたんだから、驚異的だよね、ああいう内容でさ」と回想している。 また同誌誕生の経緯には「売れない雑誌をいかに安く面白く作るか」という試行錯誤と「凄ければなんでもあり、面白ければそれでいい」というインパクト重視の基本姿勢が前提にあり、たまたまインパクトの強いものとして取り上げたものが「変態」「死体」「排泄」「切腹」「殺人」「獣姦」などであったという。そして、それらの企画を全承諾した中沢編集長の無頓着な性格と白夜書房(当時)の無節操な体質が功を奏して、ここに日本雑誌史上最低最悪の変態雑誌が爆誕したのである。
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