共産主義の台頭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 14:49 UTC 版)
ロシア革命以降、世界的に共産主義が台頭し、これの阻止を狙った欧米列強はシベリア出兵などで干渉したが失敗した。ソ連政府は1917年12月、権力維持と反革命勢力駆逐のため秘密警察(チェーカー)を設置し、国民を厳しく監視し弾圧した。新たにソ連に併合されたウクライナでは1932年から強制移住と餓死、処刑などで約1450万人が命を落とし(ホロドモール)、さらに1937年から1938年にかけてのヴィーンヌィツャ大虐殺では9,000人以上が殺害された。秘密警察は1934年、内務人民委員部 (NKVD) と改称され、ソ連国内とその衛星国で大粛清を行い数百万人を処刑した。 旧勢力駆逐後のソ連は対外膨張政策を採り、1921年には外モンゴルに傀儡政権のモンゴル人民共和国を設立、1929年には満洲の権益をめぐり中ソ紛争が引き起こされた。さらに、スペイン内戦や支那事変等に軍を派遣(ソ連空軍志願隊)し、国際紛争に積極的に介入。1939年には日本との間にノモンハン事件が起こった。このような情勢下でソ連の支援を受けた共産主義組織が各国で勢力を伸ばす。
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