クーデターの指導者として
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「スチンダー・クラープラユーン」の記事における「クーデターの指導者として」の解説
1991年2月23日にタイで軍事クーデターが発生した。このクーデターで権力を掌握した「国家平和維持評議会」の実質的な指導者として、陸軍司令官であったスチンダーは副議長として参画している。評議会は外交官であるアナン・パンヤーラチュンを首相に任命した。1992年3月22日におこなわれた総選挙においては、5つの政党がスチンダーを首相に指名し、4月7日に首相に就任したが、速やかな民主化を望んでいた国民の間には激しい反発が巻き起こった。5月17日にバンコクで発生した軍隊と市民との衝突(暗黒の5月事件)においては、合計300人ほどの市民が死亡したと見られている。 双方の対立の激化を懸念した国王ラーマ9世は自ら軍事政権側と民主化運動指導者チャムロン・シームアンとの調停に乗り出し、これによって5月24日にスチンダーは首相を辞任した。副首相を務めていたミーチャイ・ルチュパンが臨時首相となり、最終的には前首相のアナン・パンヤーラチュンが後任となった。 この騒動以降、軍部の政治への影響力は低下していくことになった。
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クーデターの指導者として
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「サリット・タナラット」の記事における「クーデターの指導者として」の解説
1957年8月14日、パオ、サリット両者の権力肥大を憂慮したピブーンは官吏軍人商業関与禁止令を発令した。サリットは10日に就任した国防大臣をわずか10日で辞任するなど一切の官職を退いたのち、9月5日にはセリ・マナンカシラ党をも離党。すると、副国防相タノーム・キッティカチョーン中将、副内相プラパート・チャールサティアン(英語版)少将も相次いで辞表を出し、その他にも軍人議員が次々と離党した。1957年9月13日(12日とも)、サリットは離党者ら58人の陸軍将校によって署名された最後通告をピブーンに手渡した。最後通告はピブーン内閣の総辞職とパオの官職追放を要求する内容であったが、退けられた。大衆はサリットの最後通告を支持していた。 9月15日、ピブーン政権への抗議集会が開かれた。すぐに数が増えた群衆は、軍隊の要求への支持を示すためにサリットの邸宅に行進した。サリットは不在だったため、群衆は政府の敷地内に侵入し、政府を非難するスピーチを行った。デモ隊は後にサリットの邸宅に戻ると、サリットは待ち構えており、サリットは、「軍と第2種議員の名において、民衆の意志と人々の利益に基づいて活動を行った。諸君がここに来ることは継続するための精神的な励みである。」との演説を行った。 16日にもピブーンとサリットの間で交渉が実施されたが、あくまで総辞職を求めるサリットに対し、ピブーンは内閣改造以上の歩み寄りをしなかった。 1957年9月17日にクーデターを実施。ピブーン首相とパオ・シーヤーノン内務大臣を追放、国王より軍側首都維持責任者に任ぜられた。一時的にポット・サーラシン(英語版)次いで自身の配下であるタノーム中将が首相に就任し、その間に1958年頭より英国で病気療養に行っていたが、再度総選挙の不正を口実に帰国後、10月20日クーデターを実施。陸海空軍、警察の代表者を募って革命評議会(カナ・パティワット)を組織すると、午後9時に「革命」の声明を発表した。革命評議会はクーデターの理由を、共産主義の台頭、憲法の与える権利が利己主義を助長させている事であるとした。これは自身の腹心の人間で構成された内閣の打倒ではなく、第1種議員の権限拡大の阻止、軍部による行政掌握の永続化が目的であった。そして全国に戒厳令を施行し、国会および政党の解散・進歩的知識人逮捕・集会結社の禁止等の措置をとった。その後三か月間、立法、行政を独占した無憲法状態が続く。翌1959年1月末、暫定憲法を制定するとともに2月、革命評議会を解散させ内閣制に移行、自ら首相に就任した。暫定憲法において首相は緊急事態に「防圧し粛清する」権限など行政権が拡大されており、議員は全員指名制であった。サリットは名実共に独裁者となった。
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