クーデターの勃発
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「9月12日クーデター」の記事における「クーデターの勃発」の解説
トルコ社会の混乱を受けて、軍首脳はクーデター計画の立案を1979年の夏ごろから始めており、クーデターの正当性を主張するためにも、政府、議会に対して度重なる警告を行った。軍首脳は1979年12月に、大統領のコルテュルクを通して、国内の諸問題への対応を求める書簡を公正党党首のデミレル、共和人民党党首のエジェヴィトに送っており、1980年5月には、後任大統領を選出できない議会に対しても警告がなされた。1971年には、同様の軍の警告が、内閣を総辞職に追い込んだ経緯があったため(「書簡によるクーデター」)、トルコ国内では、軍事クーデター発生の可能性が広く認識されつつあった。 軍はクーデターの実行を既に決意していたが、クーデターの正当性を国内外にアピールするためにも、治安状況が深刻化し、メディア等から軍の介入を望む声が上がるまで事態を静観していたという指摘もある。軍首脳は、政府、議会による事態改善が見られないこと、9月6日の国民救済党のコンヤ集会開催を口実に、9月12日にクーデターの実行を行った。 1980年9月12日の未明に、軍は行動を開始し、午前4時には議会、政府機関の接収を完了した。4時30分には、参謀総長のエヴレンが国営放送を通して、軍が全権を掌握したことを宣言した。 軍部は、全土に戒厳令を発令し、憲法の停止、議会、政府の解散、政党、労働組合の活動禁止を決定。エヴレンが「国家元首(Devlet Başkanı)」に就任し、参謀総長および陸海空軍司令官、ジャンダルマ司令官で構成される「国家安全保障評議会(Milli Güvenlik Konseyi)」が全権を掌握した。公正党のデミレル内閣は崩壊し、9月21日には、退役海軍将校のビュレント・ウルスを首班とする新内閣が成立した。
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