クーデターの流れ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 15:51 UTC 版)
「カーネーション革命」の記事における「クーデターの流れ」の解説
1974年5月15日、臨時政府が成立し、スピノラ大将が臨時大統領に就任した。しかし、実際に革命を主導したMFAとの溝が深まり、9月30日にスピノラは大統領を辞任、フランシスコ・ダ・コスタ・ゴメス(英語版)大将が大統領に就任して、中立的な政権運営を行った。 1975年3月11日、権力を奪回しようとスピノラはクーデターを起こしたが失敗、スペインに亡命した。直ちに共産党と結んだMFA左派の将校達によって革命評議会体制が確立され、臨時政府には社会党や共産党の人士も参加した。だが主導権はMFAにあり、主要産業の国有化や農地改革など社会主義的な政策を採った。 1975年から1976年までの各派閥の権力闘争は熾烈を極め、当初はMFAを主導し共産党と結んだカルヴァーリョや、革命初期の首相ヴァスコ・ゴンサルヴェス(英語版)、そして共産党書記長のアルヴァロ・クニャルが主導権を握り、大資本の国有化や農地改革が行われたが、1975年の議会選挙で社会党が第一党になると、社会党と共産党の対立が激化し、最終的に中道左派路線を掲げる社会党が勝利してMFA左派と共産党勢力は、1975年11月までに追放された。1976年には総選挙と大統領直接選挙が実施され、MFA穏健派出身のアントニオ・エアネス大将が大統領に就任して、革命はようやく終結した。
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