革命初期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/30 16:47 UTC 版)
1820年、スペイン立憲革命に触発されたカルボナリの党員ルイージ・ミニキーニ司祭が両シチリア王国軍騎兵連隊を率いて蜂起を決意した。これにグリエルモ・ペペ将軍率いる両シチリア王国軍の師団と、その弟フロレスターノ・ペペが加わった。次いで治安判事のジュスティーノ・フォルトゥナート(イタリア語版)、詩人のドメニコ・シメオーネ(イタリア語版)がミニキーニに協力し、蜂起は軍単独によるものから民衆反乱へと様相を変化させた。 両シチリア王国ノーラにおけるカルボナリ党の責任者であったミケーレ・モレッリは、ミニキーニの蜂起を支援することを決める。そして彼自身の部隊をその蜂起に協力させ、結果ジュゼッペ・シルヴァティなどが蜂起に参加することになった。 1820年7月1日、合流したミニキーニとモレッリの一団(男性約130名、軍人将校約20名)はまず立憲革命や蜂起を望んでいた民衆を反乱に加える為、「自由と憲法万歳」を叫びながら農村地帯を渡り歩く。ノーラから目的地をアヴェッリーノにして一団は農村や山村を巡ったが、しかし期待していたほどの群衆の熱狂に遭遇することはなく、蜂起参加者もほとんど募ることはできなかった。7月2日にはモンテフォルテ・イルピーノに入り、ミニキールは市民に戦争や君主制の打倒ではなくスペイン立憲革命を参考にした憲法の樹立が目的であると宣言した。これにより、民衆の支持を得ることに成功する。 7月5日、ミニキーニたちはサレルノに入る。
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