革命労農政府樹立の失敗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 15:30 UTC 版)
「プラハの春」の記事における「革命労農政府樹立の失敗」の解説
軍事介入の実施はチェコスロバキア共産党幹部会における党内保守派による労農革命政府の樹立と連動する計画であった。しかし、侵攻当日の幹部会は、9月9日の党大会の準備作業に忙殺され、保守派が用意した情勢報告に基づくドゥプチェク指導部の交代と、新たに発足した指導部による「介入の要請」というシナリオは狂いはじめた。結局、介入の連絡が党幹部会に届いたとき、保守派は、多数を占めることができず、反対に軍事介入を非難する声明が採択された。こうしてソ連などの介入はチェコスロバキアからの要請によると宣伝したにもかかわらず、当のチェコスロバキア側が介入を非難するという逆説的な状況が生まれた。それでも、革命労農政府を樹立するという計画は、翌日も、ホテル・プラハおよびソ連大使館において、モスクワから派遣されたマズロフ政治局員やチェルヴォネンコ大使を交えて、継続的に試みられた。最終的に、スヴォボダ大統領の決断を仰ぐことになったが、彼は、ドゥプチェクらの解放とブレジネフ指導部との直接交渉を優先させ、新政府の樹立を拒否した。
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