革命政府
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「インドネシア共和国革命政府」の記事における「革命政府」の解説
1958年2月15日、最後通告で宣言した期限を迎えても中央政府の回答が得られなかったことを受け、アフマド・フセインはインドネシア共和国革命政府(インドネシア語: Pemerintah Revolusioner Republik Indonesia, PRRI)の成立を宣言した。革命政府は中央政府と並立する形をとり、首府はパダンに置かれた 。 PRRI運動には上記のように閣僚経験者が参加していたこともあり、革命政府側はさっそく組閣に入った。陣容は次の通りである。 首相兼財務大臣:シャフルディン・プラウィラヌガラ 内務大臣:アッサート(英語版)(元内相。彼の到着まではダーラン・ジャンベク大佐が代行) 外務大臣:マルディン・シンボロン大佐 国防大臣兼法務大臣:ブルハヌディン・ハラハップ(元首相) 運輸船舶大臣:スミトロ・ジョヨハディクスモ(元蔵相) 社会福祉・衛生大臣:ムハマッド・シャフェイ(インドネシア語版)(元教育相) 農務・労働大臣:サラディン・サルンパト 宗教大臣:ムフタル・リンタン中佐 情報大臣:サレハ・ラハド(インドネシア語版)中佐 社会福祉大臣:アブドゥルガニ・ウスマン 通信・郵政大臣:ダーラン・ジャンベク大佐 西スマトラにおいては、インドネシア国民党(PNI)とインドネシア共産党(PKI)をのぞくほとんどの政党が、PRRIの掲げた理想に賛同を示した。またPRRIの宣言は、プルメスタ政権に支配されていた北部・中部スラウェシでも歓迎された。2月17日、これらの地域はPRRI運動を支援すると声明を発表した。
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