革命政府論
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「公安委員会 (フランス革命)」の記事における「革命政府論」の解説
公安委員会の中央の独裁化はだいたい9月末までに完成されたが、新憲法が停止中であったため、旧憲法(1791年憲法)の条文のいくつかは生きていて、それを修正するたくさんの法令とが不完全に共存する状態だった。いくつかの革命的立法が中央で矢継ぎ早に公布されたことは地方を混乱させた。また派遣議員の何人かが階級闘争的な手法で平等主義を貫いたり、過激な反キリスト教政策を地方で無理に推し進めたので、地方の恐怖政治はすぐに大量殺戮の様相を呈するようになった。公安委員会は彼らを召還して権限を停止しなければならなかったが、彼らが去って元の当局者に権限が渡されると、今度は政策が逆行するような事態も発生し、混乱に拍車をかけた。中央集権的な状態が国全体で保てるよう、行政機構全体が再整備される必要があった。10月4日、ビヨー=ヴァレンヌは「政府に活動と生命を与えるのに必要な法令」草案を公安委員会の名で公会に提出し、この草案は差し戻されたが、革命行政の整備にのりだした。 10月10日、サン=ジュストによって新しい草案が発表され、そこには独自の革命政府論(独裁理論)が展開されていた。彼はまず演説して、法律と対策が取られた後も状況が改善しないのは「法が革命的であるのにその法を遂行する人が革命的ではない」からだと指摘。国家の逆境の原因を考察するに、それは「命令実行の際の(大臣らの)意志の弱さ、行政における(官吏の)節約の不足、(公会の)国家計画の不安定さ、政府に影響を及ぼす(人民の)情熱のうつろい」に見いだされ、したがって公安委員会は人民に提案するが、「自由に対する最後の敵が生きている限り」は繁栄を望むことはできないのであり、「裏切り者だけではなく、無関心な者も」罰しなくてはならないのであって、なぜなら「フランス人民が自己の意志を明らかにした後には、その意志に反する者はすべて主権から外れており、主権から外れた者はすなわち敵だからである」と定義した。共和国の現状においては「憲法は確立しえない」が、それは「憲法は自由に反対する陰謀を抑圧するのに必要な暴力を欠いている」からで、「法の剣は至るところに迅速に行き渡らなければならない」のであり、「政府自体が革命的に構成されなければ、革命的な法律を執行することは不可能」であると主張し、政府が革命的でなければならない対象は、貴族(反革命の象徴)だけでなく、商人や役人、政治家に対してもであり、「多くの悪の源泉はある者の腐敗と他の者の軽率さにある」とした。その上で、サン=ジュストは14条からなる法令を提出し、公会はこれを討議することなく拍手喝采で承認したので、そのまま革命独裁の大綱となった。第一条で「フランス臨時政府は平和が到来するまで革命的である」とされ、大臣、将軍、行政、司法のすべては公安委員会の監視下に置かれることになった。 しかし大綱はまだ細部を詰める必要があったので、11月18日にビヨー=ヴァレンヌが「革命政府組織の方法」とする草案を提出した。公会で議論されたことは地方行政と監察官、派遣議員やその他の委員との関係の整理であった。これらは数度にわたる議論を経て、1793年12月4日、フリメール14日法(フランス語版)として完成した。フリメール14日法は革命政治の仮憲法と言えるもので、実施されない1793年憲法に代わって、7月27日までフランスの政治を規定した基本法であったと見なすことができる。いままでバラバラに制定されてきた諸機関が、中央集権組織の中で有機的に動くことを意図したもので、権限や管轄が整理されていた。革命軍や革命委員会のような組織も、公安委員会の統制下に置き直され、徐々に人を入れ替えて政府に反逆するような極左派(エベール派など)の手から奪還された。公安委員会は国中を監視し、(候補者をリストに選ぶということで)人民全体の官吏を任命する権限を持ち、諸委員会の人選や市町村の選挙は停止され、人民主権のために民主主義は事実上停止された。 詳細は「フリメール14日法(フランス語版)」を参照 公安委員会はいまや極大な権限を有していた。1794年3月27日、革命軍は廃止された。4月1日のカルノーの提案(ジェルミナル12日の法令)で臨時行政会議と大臣制度も廃止された。これにより、名実共に政府は公安委員会を頂点とする組織となった。その下に大臣に代わっておかれた12執行委員会が整備されることになり、この各執行委員会は正委員2名、副委員1名で構成された。立法権と行政権は完全に一体化し、革命政治体制は完成した。
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