臨時行政会議
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/19 20:35 UTC 版)
臨時行政会議は、立法議会が1792年8月15日の法令で国民公会の成立に先立って最初に設置した行政府である。しかし国王存在に代わって、議会が大臣を任命しており、当初から立法府に従属する行政府という立場であった。このようにフランス革命では権力分立の原則は否定ないし無視されていた。臨時行政会議は、当時立法議員でなかった者から6名が選ばれて大臣とされた。構成は、司法、海軍、外務、内務、陸軍(戦争)、財務で、従来のフランスでは首相という地位は存在しなかった。しかし最初に選ばれた6名のうちの1人に有力政治家のダントンがいたため、実際的には彼が首相のように半年ほど振る舞った。 臨時行政会議、つまり大臣の権限は、公安委員会が整備され、権力を増すほどに弱まった。当時のフランスでは、大臣制度はアンシャン・レジームのものであるという印象が強かったため、大臣に大きな権限を与えることを忌避し、また実際の大臣の役割を果たしていた公安委員を大臣と呼ぶことも拒んだ。臨時行政会議は、独自に(調査権限を持つ)委員を各地に派遣する権限がある組織の一つであったが、その委員は派遣議員の監視対象の一つでもあった。結果として、臨時行政会議も大臣も、国民公会に変わって公安委員会への報告義務を持つなど、行政官僚のような立場になっていった。1794年4月1日のジェルミナル12日法によって臨時行政会議は廃止され、十二行政委員会へと移行した。 詳細は「臨時行政会議」を参照
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