クーデターの歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 03:43 UTC 版)
歴史上のクーデターは、政権内の有力者、もしくは軍隊などを掌握している人物によって行われることが多い。一方で最高権力者、あるいは君主などが行う「自主クーデター(英語版)」もしばしば存在する。ルイ・ナポレオン(ナポレオン3世)による1851年12月2日のクーデター、第三共和制下の韓国で行われた十月維新、ペルーのアルベルト・フジモリ大統領のクーデター(アウトゴルペ)などがある。 自らがトップに立とうとする場合だけでなく、有力者を担いだ者または有力者を担ぐことを標榜する者が実行する場合もある。 中央集権化が著しい体制の下では中央政権のトップが入れ替わると地方勢力もそれに従う傾向が強いが、一方封建制など地方分権の強い体制では、中央政権のトップが入れ替わったとしても必ずしも地方勢力がそれに従うとは限らず、クーデターの効果も限定的なものになったり、地方勢力の反撃によってクーデターが失敗に追い込まれることもしばしば見られる。 近世に入ってからは多くの国で中央集権化が進んだためクーデターが容易になったが、近代に工業化が進み大衆が豊かになり社会構造が複雑化すると、地方政府、政党、官僚、警察、企業、労働組合、宗教団体、利益団体、報道機関、その他コミュニティーといった多岐にわたる権力集団をすべて軍事力で掌握することは非常に困難になり、一般に、先進工業社会ではクーデターが稀になってきている。しかし、一般大衆の子弟が高等教育を受けることが困難で、立身出世を望む者が軍に集中する構造の社会では今もクーデターが頻発する。 現代では、軍事力は国軍が排他的に掌握しているため、国家体制が未発達の国で傭兵や民兵、暴徒、過激派組織が企てる以外は、国軍によるクーデターがほとんどである。軍の最高幹部が起こすものと中堅幹部が起こすものがあり、後者の方がより体制変革(革命)の意識が強いが、どちらも革命評議会、臨時救国政府等と名乗る軍事政権(フンタ ― 西: Junta。“評議会”)を作ることが多い。そうでなければ最高幹部が名目上退役し、軍の力を背景に利権と弾圧によって形式上は民政に移行したうえで大統領になるというものである。
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