司令官就任
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/13 07:49 UTC 版)
「レンナート・トルステンソン」の記事における「司令官就任」の解説
1641年5月、スウェーデン軍総司令官のバネールが死亡、トルステンソンが総司令官ならびにポンメルン総督に選出された。陸軍元帥に昇進したトルステンソンは、再びドイツへ派遣された。1642年からトルステンソンはブランデンブルク、シレジア、モラヴィアに侵攻、皇帝軍の主要な要塞をすべて制圧し、ザクセン軍を撃破した。1642年10月23日、第二次ブライテンフェルトの戦いにおいて、皇帝軍に死傷5,000人、捕虜4,500人という多大な損害を与えて勝利した。 1643年、スウェーデンはデンマークに宣戦布告した。この時、トルステンソンは再びモラヴィア方面へ進出していたが、本国からの指令に従って急遽軍を返した。スウェーデン軍は電撃的な侵攻で1644年1月までにはユトランド半島を制圧、その後、救援のために派遣されてきたマティアス・ガラス率いる皇帝軍も迎撃した。海戦でもスウェーデン海軍がデンマーク海軍に勝利し、デンマークの敗勢は決定的なものとなった。1645年2月、ブレムセブルー条約が締結されてデンマークとの戦争は終結した。この戦争はトルステンソン戦争、あるいはハンニバル戦争とも呼ばれる。トルステンソンによるユトランド半島への急速な侵攻を、第二次ポエニ戦争でイタリア半島へ侵攻したハンニバルになぞらえたのである。
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