ベルリン司令官と死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 07:57 UTC 版)
「ニコライ・ベルザーリン」の記事における「ベルリン司令官と死」の解説
ベルリンの戦い中にベルザーリンが指揮する第5打撃軍は1945年4月21日にベルリン郊外東部に達し、この部隊がソ連軍で初めてベルリンに到達した軍となった。最初に都市に到達した司令官に報酬を与えるというロシア帝国時代からの伝統にのっとり、4月24日にゲオルギー・ジューコフ元帥によってベルリン市司令官に任命された。この時ベルザーリンは「第1号命令」を発し、すべての政治権力を仮定させた。完全に破壊し尽くされたドイツの首都再建に尽くし、都市に警察隊を作りつつ住民たちに、食料、水、ガス、電気を供給させ、同様に学校や劇場を再開させた。5月17日に非党派のアルトゥール・ヴェルナー(英語版)を戦後初のベルリン市長に任命した。 1945年6月16日、司令官に任命されてからたった55日後、ベルリン=フリードリヒスフェルデ(英語版)の事務所近くの交差点で、ベルザーリンの乗るオートバイの車列にトラックが突っ込み死亡した、没年41歳。任命されてからの早すぎる死は様々な噂や都市伝説が流れた、ナチスの残党であるヴェアヴォルフ部隊が暗殺したというものや、NKVDがベルザーリンのベルリン司令官就任を認めず暗殺したなど。 ベルザーリンはモスクワのノヴォジェーヴィチィ墓地(英語版)に埋葬された。
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