ベルリン国立歌劇場時代とは? わかりやすく解説

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ベルリン国立歌劇場時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 02:47 UTC 版)

オトマール・スウィトナー」の記事における「ベルリン国立歌劇場時代」の解説

1964年にはベルリン国立歌劇場音楽監督就任し1990年まで務めたスウィトナー時代シュターツカペレ・ベルリンベルリン国立歌劇場オーケストラ)は、音楽監督在任期間26シーズン)、演奏旅行の数、録音点数聴衆動員率などで過去の記録大幅に上回ったうえ、ディスク売れ行き好調であった。さらに、スウィトナー前任のコンヴィチュニーの路線踏襲しつつ、新たなレパートリー開拓したほか、西側人材登用した。インタビューにおいて、スウィトナーシュターツカペレ・ベルリンレパートリーについて以下のように述べている。 劇場ではドイツ・オペラを全般にわたって掘り下げることを優先させていますが、私は母がイタリア人ですから血の半分イタリアで、イタリア・オペラは大変好きです。で、上演した作品は沢山あります。が、ドイツ物はある程度アンサンブルでもってゆけますが、イタリア物は声が第一のいい歌手絶対必要です。それには経済面ネックになる。また自国上演前提なので、その難しさも。イタリア語言葉自体が歌に適し、とても声楽的な言語です。だから原語上演最良ですが、その点でも現状ではちょっと難しいところがあります。私は日本語訳でのイタリア・オペラを観ていますが、語感ドイツ語よりも旋律にのっています。字幕も一つ解決策で、日本試みられているこの方法もいっそう研究したいですね。 スウィトナー体制下のシュターツカペレ・ベルリンは、同じ都市活動するベルリン・フィルハーモニー管弦楽団比肩する存在してみなされるようになったと言われている。音楽評論家小石忠男は「シュターツカペレ・ベルリンスウィトナー時代入ってから、従来強固重厚なアンサンブルに、透明度柔軟性加えた。彼らはおびただしいオペラ上演交響的ともいえる見事な演奏披露する同時に年間8回(各2夜)のシンフォニー・コンサートを国立歌劇場開催した。その成果数多く録音残されている」と評している。 ベルリンの壁設けられたこともあって、この時代シュターツカペレ・ベルリン東側代表するオーケストラみなされるようになり、人事面などで国家からの介入多くあったと言われている。また、スウィトナー当時半ば禁止されていた現代音楽プログラム組み込んだため、当局揉めることもあったという。ただしスウィトナー東ドイツ財政支え存在でもあり、1年で36000ポンド稼いだとも言われている。なお、1988年インタビュースウィトナーは「1964年以来ですから、そろそろ離れようかと考えましたが、慰留されています」と述べている。。

※この「ベルリン国立歌劇場時代」の解説は、「オトマール・スウィトナー」の解説の一部です。
「ベルリン国立歌劇場時代」を含む「オトマール・スウィトナー」の記事については、「オトマール・スウィトナー」の概要を参照ください。

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