ベルリン地下鉄シュタットミッテ駅
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「アンリ・フネ」の記事における「ベルリン地下鉄シュタットミッテ駅」の解説
1945年4月27日午後、「ノルトラント」師団は師団司令部をベルリン地下鉄シュタットミッテ駅 (U-Bahnhof Stadtmitte) に移動させ、午後の間にフネの副官フォン・ヴァレンロートSS中尉に率いられたフランスSS突撃大隊もオペラハウスからトーマスケラー醸造所、次いでシュタットミッテ駅へ移動した。 4月27日夕暮れ頃、グスタフ・クルケンベルクSS少将は前日のノイケルンの戦いで活躍したフランス人義勇兵に対する鉄十字章授与式を執り行った。その後、彼らにはキャンディー、チョコレート、タバコが振舞われ、これにより場の空気は盛り上り、誰もが歌を歌っていた。しばらくして大隊長フネがその場に現れると、フネの部下は彼に殺到してあらゆる嗜好品をフネのポケットに詰め込んだ。あたかもお祭り騒ぎのように和やかな雰囲気であったが、ジャン=クレマン・ラブルデットSS義勇少尉の第1中隊は未だにフネのもとへ戻っていなかった。 同日の夜、アルベール・ロブラン武装連隊付上級士官候補生 (W-StdObJu. Albert Robelin) に率いられた第1中隊の小グループが、やや遅れて第1中隊第2小隊長マクシム・ド・ラカーズ武装連隊付上級士官候補生 (W-StdObJu. Maxime de Lacaze) に率いられた第1中隊の大半がフネのもとへ戻ってきた。しかし、彼らの中にラブルデットの姿は無かった。 ド・ラカーズの報告によると、ラブルデットは少数の兵を率いて地下鉄のトンネル内の前哨陣地に行ったきり連絡が途絶えたため、ド・ラカーズはあらかじめ発せられていたラブルデットの命令に従い、予定の時刻に第1中隊の大半を率いて帰還したという(このような種類の戦闘では予定の時刻に数時間遅刻することは特に珍しくもないため、当面の間ド・ラカーズもフネもラブルデットの心配をしなかった)。 そして、フネのもとに新たに伝えられた情報によると、ヴァルター・ヴェンク装甲兵大将 (Gen.d.Pz.Tr. Walther Wenck) 率いるドイツ第12軍 (12. Armee) がポツダム近郊に到達したという。しかし他方では、シュテッティン南部においてオーデル川を渡った赤軍の大攻勢がドイツ北部のプレンツラウに及んでいた。これらの知らせを聞いたフネは、すでにベルリン入りしているフランスSS突撃大隊に加わるべくノイシュトレーリッツで待機中の「シャルルマーニュ」師団本隊(援軍)がベルリンに来ることは無いと悟った。
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