第二次世界大戦最後の騎士鉄十字章
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「フランスSS突撃大隊」の記事における「第二次世界大戦最後の騎士鉄十字章」の解説
1945年4月29日、ベルリン・ミッテ区のベルリン地下鉄シュタットミッテ駅(U-Bahnhof Stadtmitte)に設置されている「ノルトラント」師団司令部の中で、「ノルトラント」師団長グスタフ・クルケンベルクSS少将は不安感に苛まれていた。ベルリン防衛司令官ヘルムート・ヴァイトリング砲兵大将が催す作戦会議に参加せよとの命令も無く、師団司令部には無線機も設置されていないという状況の中、クルケンベルクが外界の情報を得るにはフランスSS突撃大隊指揮官アンリ・フネSS義勇大尉や、戦術学校指揮官ヴィルヘルム・ヴェーバーSS中尉から送られてくる伝令に頼るほかなかった。 そのようにしてもたらされた情報によって、クルケンベルクはフランス人義勇兵ウジェーヌ・ヴォロ武装伍長(W-Uscha. Eugène Vaulot)が市街戦中に合計8輌の赤軍戦車を撃破したことを知り、ヴォロを騎士鉄十字章受章者候補に推薦した。 1945年4月29日午後、シュタットミッテ駅構内の地下鉄車輌内において「ノルトラント」師団長グスタフ・クルケンベルクSS少将は、「短いローソクのゆらめく光の中で」ウジェーヌ・ヴォロ武装伍長に騎士鉄十字章を授与した。クルケンベルクは戦後に著した回顧録の中で、1945年4月29日の出来事を次のように述べている。 第503SS重戦車大隊指揮官のヘルツィヒ少佐(SS少佐)(SS-Stubaf. Friedrich Herzig)も、モーンケSS少将から騎士鉄十字章を授与された。これらが今次大戦における最後の2つの騎士鉄十字章であった。 しかし、武装親衛隊の騎士鉄十字章受章者について述べたErnst-Günther Krätschmerの著書 « Die Ritterkreuzträger der Waffen-SS »(初版:1950年~第5版:2002年)によると、同じく1945年4月29日にウジェーヌ・ヴォロ武装伍長とフリードリヒ・ヘルツィヒSS少佐以外にも騎士鉄十字章を授与された者がおり、その中には フランスSS突撃大隊指揮官 アンリ・フネSS義勇大尉(SS-Frw. Hstuf. Henri Fenet) 戦術学校指揮官 ヴィルヘルム・ヴェーバーSS中尉(SS-Ostuf. Wilhelm Weber) 戦術学校第2分隊長 フランソワ・アポロ武装曹長(W-Oscha. François Apollot(Appolot))※ 第6版(2012年度改訂版)で騎士鉄十字章受章者扱い取り消し も含まれている。戦後のクルケンベルクは、戦時中の公式勲記が存在しないことを理由にウジェーヌ・ヴォロ以外のフランスSS突撃大隊の将兵(ヴェーバー、フネ、アポロ)に対する騎士鉄十字章授与が本当になされたのかどうかを疑問視したが、ヴェーバー、フネ、アポロに対して騎士鉄十字章が授与されたことを示唆する記録として以下の説が現在までに伝わっている。
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