第二次世界大戦時下と終戦後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/15 16:10 UTC 版)
「ホットスプリングス (アーカンソー州)」の記事における「第二次世界大戦時下と終戦後」の解説
第二次世界大戦が開戦すると、ホットスプリングスの医師やバスハウスの従業員は志願や徴兵で従軍したり、近隣の軍需工場に駆り出されたりした。また、温泉療養に必要な物資も不足するようになった。1942年、陸軍・海軍病院では傷病者を収容しきれなくなり、隣のイーストマン・ホテルを収用して臨時の病棟にした。1944年には、ホットスプリングスは帰還した兵士の再配備センターとなり、同年8月には市内のほとんどのホテルが陸軍に収用された。帰還した兵士には再赴任地に送られる前に21日間の賜暇が与えられ、兵士たちはこの地で自分らの軍事記録を更新したり、医科・歯科の治療を受けたり、格安料金で入湯したり、レクリエーション活動を行ったりした。終戦後、1945年12月に再配備センターは閉鎖された。 1946年初頭、ホットスプリングスのホテルは民間に返還され、バスハウスでの入湯客数はそれまでで史上最高の649,270人を数えた。しかしそれは同時に、ホットスプリングスの湯治場としてのピークでもあった。第二次世界大戦時中に発達した抗生物質の技術により、治療目的での温泉の使用は減っていった。アメリカ社会は変化し、19世紀にこの地で数ヶ月から数年単位の長い時間をかけて行われていた温泉療養のような、長期の休暇は取りづらくなった。また自動車が普及し、1回の休暇で多くの土地を回れるようにもなった。アメリカ人の余暇の過ごし方も多様化し、温泉は高齢者のものと見なされ、若年者の間では関心が薄れていった。こうした変化が重なった結果、1979年には、ホットスプリングスにおける入湯客数はわずか96,000人にまで減少した。1962年にフォーダイス・バスハウスが、また1974年にモーリス・バスハウスが閉館したのを皮切りに、その後11年の間に次々に5軒のバスハウスが閉館し、1986年には、残ったバスハウスはバックスタッフ・バスハウス1軒のみとなった。 しかし2000年代に入ると、ホットスプリングスは温泉リゾート地として再生・発展を遂げていくようになった。2000年には、1995年に一度は閉園したテーマパーク、マジック・スプリングス・アンド・クリスタル・フォールズが再開園した。2008年には、クアポー・バスハウスが24年ぶりにその扉を開け、大型の温泉プールやカフェ等を備えた、現代型の温泉リゾート施設としてリニューアルオープンした。
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