第二次世界大戦時の性政策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 06:29 UTC 版)
秦郁彦は、第二次世界大戦当時の戦地での性政策を「自由恋愛型(イギリス軍、米軍)」「慰安所型(日本、ドイツ、フランス軍)」「レイプ型(ソ連軍)」の3つの型に大別している。 自由恋愛型 自由恋愛型とは英米軍が該当し、私娼中心で公娼制度を公認しないもので、その理由は世論とくに女性からの批判によって公娼制を公認できなかったためとされる。その代わり、現地の娼婦の利用を黙認したが、性病が蔓延したともいわれる。(バトラーらのフェミニズムによる批判や廃娼運動については前述#近代公娼制の確立を参照)。植民地においては慰安所が存在し、また英米軍が占領後に日本軍慰安所を居抜きで使用した場合もある。アメリカ軍もフィリピンなどの植民地慰安所をのぞくと慰安所を設置しなかったが、ノルマンディーに上陸したアメリカ軍が多数のフランス女性をレイプし、性行を行っている姿を見ないで街を歩くことが出来ないほどの状態になったためル・アーヴルでは市長が郊外に慰安所の設置をアメリカ軍指揮官に懇願したがアメリカ軍はこれを拒否している。 慰安所型 ドイツ軍は国家管理型の慰安婦・慰安所制を導入し500箇所あったといわれ、ドイツと同様の制度を導入した日本軍慰安所は400箇所あったとされる。フランス軍、インド駐留イギリス軍、イタリア軍にも慰安所があったが、慰安婦を現地で募集する場合とそうでない場合とがある(詳細は下記節で述べる)。 日本軍慰安所設置にあたっては性病対策のほか強姦対策もあった が、強姦罪は跡を絶たなかったともいわれる。 レイプ型 ソ連軍では、軍の幹部が半ば公然とレイプによる「復讐」を奨励したとされる。ヨシフ・スターリンは敵国の女性を戦利品とする「戦地妻」を容認し、「わが軍兵士のふるまいは絶対に正しい」と兵士を鼓舞した(軍の方針と無関係に発生する強姦事件は、ソ連以外の軍隊でも発生した。詳しくは「強姦の歴史#戦時の強姦」参照)。
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