第二次世界大戦時の活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 16:46 UTC 版)
「クロード・カアン」の記事における「第二次世界大戦時の活動」の解説
1937年にカアンとマレルブはジャージー島に居を定めた。フランスの敗北に引き続いてジャージー島を含むチャネル諸島がドイツによる占領支配を受けるようになると、二人は武器によらないレジスタンス活動やプロパガンダを流す活動をするようになった。ただひたすらに戦争を憎み、二人は熱心に反独ビラ作りに勤しんだ。多くはナチスの罪状や傲慢さについてBBCが報じたプロパガンダを英語からドイツ語に翻訳したものの断片であり、二人はそれらをテンポよく韻を踏んだ詩や厳しい批判の言葉の合間合間に貼付けた。二人はよそ行きの服を着てジャージー島で開かれるドイツ軍のイベントによく出席し、ビラを兵士のポケットに突っ込んだり、椅子の上に置いたりして、計画的にビラを撒いた。ビラを丸めたものを目立たぬように車や兵舎の窓の中に投げ入れることも行った。カアンとマレルブにとってレジスタンスは、単なる政治活動ではなく、多くの点で芸術活動でもあった。二人はそこに持てる創造的才能を注ぎ込み、唾棄すべき権威を翻弄し突き崩そうとした。カアンは生涯にわたり作品を通して、多種多様なやり方で、権威というものを崩すことに注力した。しかしながら彼女のレジスタンス活動は身の危険を招くことになった。1944年にカアンは逮捕され死刑判決を受けた。刑が執行されることはなかったが牢屋の中で受けた酷い扱いにより悪化した健康が戻ることはなく、1954年に亡くなった。カアンは聖ブレラド教会に埋葬された。隣には生涯の伴侶スザンヌ・マレルブも眠る。
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