第二次世界大戦時のドイツ試作兵器
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 01:30 UTC 版)
「指向性エネルギー兵器」の記事における「第二次世界大戦時のドイツ試作兵器」の解説
1940年代初期、枢軸国の技術者は音波砲を開発した。メタンガス燃焼室は2基のパラボラ状反射装置に接続しており、約44ヘルツでパルス的に爆轟した。この皿状の反射装置で拡大された低周波は、200mから400mの範囲では中耳骨を振動させ、また内耳の部分では蝸牛流体を振り、空間識失調と吐き気を引き起こした。50mから200mの距離では、音波が圧縮力に抵抗を持つ器官、例えば腎臓、脾臓、肝臓の圧縮と解放を繰り返し、器官の組織と流体に働きかけた。ただしこれは柔軟な器官、例えば心臓、胃や腸にはほとんど見るべき影響を及ぼさなかった。大気による相殺が非常に大きいことから、肺組織は最も近い範囲においてのみ影響を受けた。また血液を豊富に含む肺胞だけは圧縮に抵抗した。実用上では、この兵装システムは敵の砲火に非常に脆かった。小銃、無反動砲、また迫撃砲の砲弾は簡単にパラボラ状の反射装置を変形させ、音波の拡大効果を失わせた。 第二次世界大戦の末期、ナチス・ドイツは「ヴンダーヴァッフェ(英語版)」と呼ばれる革新的な秘密兵器の技術開発に期待を強くしていった。 指向性エネルギー兵器の中でも、ナチス・ドイツが研究したのはX線ビーム兵器であり、ハインツ・シュメレンマイアー、リヒャルト・ガンス、そしてフリッツ・ホウターマンスの指揮下に開発が進められた。彼らはドイツ航空省(RLM)のために、レオトロンと呼ばれる電子加速装置(1930年代にジーメンス・シュッカート社のマックス・ステーンベックによって発明された。これらはアメリカでは後にベータトロンと呼ばれた。)を建造し、硬X線シンクロトロンビームを発射した。ここで意図されたものは、航空機のエンジン内部にある点火プラグをプレイオン化し、これにより航空機の高度を高射砲の射程まで下げさせることで、対空指向性エネルギー兵器として役に立たせようというものだった。1945年4月14日、レオトロンはブルククルブでアメリカ軍に接収された。 また、エルンスト・シャイボルトは他の方法を模索しており、アシャッフェンブルクに近いグロスオストハイムにて1943年から「レントゲンカノーネ」が研究された。ハンブルクにあるライヒャート・ザイフェルト& Co社では部品を供給した。 ドイツ第三帝国では音響兵器の更なる開発を行い、破壊力を持つ音波の発射のためにパラボラ形式の反射装置を用いた。マイクロ波兵器は怪力線として日本で研究された。
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