イタリア征服
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/01 23:14 UTC 版)
552年4月、本国に召還されたベリサリウスに代わり、総司令官ナルセスは東ローマ軍を率いて北方からイタリアに侵入する。ナルセスは工兵隊を駆使してラヴェンナを落とし、補給を行うとローマに向けて進軍を開始した。ローマを出立したゴート軍とナルセス率いる東ローマ帝国軍は、ブスタ・ガロールム高原で対峙する(ブスタ・ガロールムの戦い ギリシア語: Μάχη των Βουσταγαλλώρων Battle of Busta Gallorum)。この戦いで、ナルセスは中央の歩兵に密集陣形を取らして、突撃するゴート軍を受け止め、左右に配置した弓兵で殲滅した。この戦いでトーティラを討取った。 トティラ亡き後、残存兵を引き連れたテーイアが王となったが、サレルヌム(現サレルノ)近郊のモン・ラクタリウスの戦いで戦死した。ゴート軍はその後も王を担ごうとしたが実現に至らず、東ゴート王国は滅びた。 軍務経験の全くない官僚出身でありながら、ナルセスはベリサリウスの戦術を継承しつつ総司令官就任から4年目にしてユスティニアヌス1世の悲願であったイタリア半島征服を成し遂げた。その後はイタリア総督を務めたが、ユスティニアヌス1世の死後に職を解かれ、ナポリ近郊で死んだ。 565年に作成されたとされる碑文では、ナルセスは執政官にも任命されたとされている。しかし執政官は541年以降には皇帝のみが就任できる官職とされており、臣下が到達できる当時の最高官位はパトリキウスまでであった。歴史学者の井上浩一は、ナルセスが執政官に就任したとする記録は、ナルセスの功績と人気によって生じた誤解であろうとしている。
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