新カプア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/22 21:03 UTC 版)
900年、カプア公アテヌルフ1世 (Atenulf I of Capua) はベネヴェントを征服した。カプアとベネヴェントの両公国は、981年にランドルフォ1世 (Pandulf Ironhead) が息子たちに所領を分割相続されるまで、統一状態にあった。この時期のカプアはベネヴェントをしのぎ、サレルノの主要なライバルとなった。 「ノルマン人による南イタリア征服」も参照 ランドルフォ4世 (Pandulf IV of Capua) は、ライヌルフ (Rainulf Drengot) 率いるノルマン人の支援を取り付け、1027年にナポリ王セルギオ4世 (Sergius IV of Naples) を破ってナポリを併合した。しかしセルギオ4世はライヌルフと結び、のちにナポリを奪還した。ランドルフォの死後、息子の下でカプアが弱体化すると、1058年にライヌルフの甥であるアヴェルサ公リカルド1世 (Richard I of Capua) によってカプアは包囲され、陥落した。リカルド2世 (Richard II of Capua) は7年の間(1091年 – 1098年)都市を追放されたが、親族の支援を受け、1098年に包囲戦 (Siege of Capua) の末にカプアを奪回した。この家門は、1156年に末裔が絶えるまでカプア公国として存続し、その後はシチリア王国に統合された。カプアは一国の首都としての地位を失い、大きな王国の一小都市となった。 ポーランド継承戦争(1733年 - 1738年)中の1734年には、フランス・サルデーニャ連合軍とオーストリア軍との間でカプア包囲戦が行われた。
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