AL作戦
アリューシャン攻略作戦
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「佐々木丙二」の記事における「アリューシャン攻略作戦」の解説
1940年(昭和15年)10月、充員招集により現場復帰し、特設砲艦「福山丸」、同「朝海丸」の砲艦長兼務となった。 真珠湾攻撃による開戦直後の1941年(昭和16年)12月25日、特設砲艦「まがね丸」砲艦長を命ぜられ、第五艦隊麾下で作戦行動に従事。1942年(昭和17年)5月5日には、MI作戦(ミッドウェー作戦)と同時並行で展開されたAL作戦(アリューシャン作戦)に参加した。当初はアッツ攻略部隊に編成されていたが、ミッドウェー海戦敗北の影響により、キスカ攻略部隊に編入され、占領に成功したキスカ島への武器弾薬輸送及び機雷敷設を行った。
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アリューシャン攻略作戦
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「伊号第十五潜水艦 (初代)」の記事における「アリューシャン攻略作戦」の解説
5月11日、伊15は軍隊区分北方部隊に編入される。15日、横須賀を出港し、17日に大湊に到着。19日、AL作戦に参加して大湊を出港。第2潜水戦隊の支援を行った後、アリューシャン列島南方沖を哨戒。27日、コディアック島を偵察。6月7日、米PBY カタリナに発見されて攻撃を受けるが、被害はなかった。その後、キスカ西方沖の散開線に到達して哨戒。19日にはダッチハーバーを潜望鏡偵察。29日、哨戒区域を離れる。30日、北方部隊作戦指揮を解かれ、第六艦隊指揮下に復帰、7月7日、横須賀に到着し、修理と整備に従事。
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