大野竹二とは? わかりやすく解説

大野竹二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/25 05:52 UTC 版)

大野 竹二
生誕 1894年10月12日
日本 東京府東京市
死没 (1976-12-18) 1976年12月18日(82歳没)
所属組織  大日本帝国海軍
最終階級 海軍少将
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大野 竹二(おおの たけじ、1894年明治27年)10月1日 - 1976年昭和51年)12月18日)は、日本海軍軍人戦艦大和」第4代艦長。最終階級は海軍少将

経歴

伊集院五郎海軍大将の二男として東京で生まれ、大野義方海軍大佐の養子となる。

東京高等師範学校附属中学校(現在の筑波大学附属中学校・高等学校)を1912年に卒業後、1916年11月、海軍兵学校44期)を卒業し、翌年12月に海軍少尉任官。英国私費留学(オックスフォード大学)、「秋風」「高崎」の各航海長などを経て、1928年12月、海軍大学校(甲種26期)を卒業。

神通」航海長、第2遣外艦隊参謀軍令部第2班第3課・第1班第1課の各参謀、第3艦隊参謀、第1遣外艦隊参謀、第11戦隊参謀、軍令部第1部第2課・第3部第7課・第3部第8課の各部員、支那方面艦隊司令部付などを歴任し、1938年11月、海軍大佐に進級。

以後、興亜院調査官、軍令部第1部員などを経て、太平洋戦争には「木曾艦長として出征し、アリューシャン列島攻略作戦などに参加。「鈴谷」「大和」の各艦長などを歴任し、1943年11月に海軍少将に進級。軍令部第3部長などを経て、海軍省人事局長として終戦を迎えた。1945年11月、予備役に編入された。1947年11月、公職追放の仮指定を受けた[1]

親族

脚注

  1. ^ 総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、61頁。NDLJP:1276156 

参考文献

  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 海軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 福川秀樹『日本海軍将官辞典』芙蓉書房出版、2000年。

関連項目


大野竹二(おおの たけじ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/13 09:13 UTC 版)

ジパング (漫画)の登場人物一覧」の記事における「大野竹二(おおの たけじ)」の解説

戦艦大和艦長階級少将

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