あるぜんちな丸
大阪商船最大の豪華客船。物資不足の時期に主機関をはじめ全てが国産品で造られた。丸みを帯びた煙突と優美な船容は独特の形態美を備えていた。時局緊迫化のため予定の南米航路に就いたのは僅か15ヶ月間で、1942年特設空母・海鷹となる。1945年別府湾で触雷して擱座、翌年解体。
あるぜんちな丸
あるぜんちな丸
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あるぜんちな丸(あるぜんちなまる、Argentina Maru)は、かつて大阪商船および商船三井客船(日本移住船)が所有し運航していた貨客船。大阪商船所属の初代は、あるぜんちな丸級貨客船のネームシップとして西回り南米航路に就航して移民輸送に活躍するも、太平洋戦争中に特設運送船を経て空母に改装され、空母「海鷹」となった。第二次世界大戦後に就航した大阪商船および商船三井客船(日本移住船)所属の二代目も、南米への移民輸送に活躍した。
注釈
出典
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- 1 あるぜんちな丸とは
- 2 あるぜんちな丸の概要
- 3 参考文献
- 4 関連項目
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