第一次アキャブ作戦
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第一次アキャブ作戦(だいいちじアキャブさくせん、英:First Arakan Campaign)は、太平洋戦争中の1942年末頃から1943年5月までの約5ヶ月間、主に大日本帝国陸軍とイギリス陸軍のあいだで起こった戦闘である。三十一号作戦、第一次アラカン作戦とも呼ばれる。結果は日本軍側の勝利。
- 1 第一次アキャブ作戦とは
- 2 第一次アキャブ作戦の概要
第一次アキャブ作戦(三十一号作戦、第一次アラカン作戦)
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「ビルマの戦い」の記事における「第一次アキャブ作戦(三十一号作戦、第一次アラカン作戦)」の解説
詳細は「第一次アキャブ作戦」を参照 1942年から1943年の乾季、ビルマ戦線の連合軍にはまだ本格的反攻に移る余力はなかったが、2つの限定的な作戦を実施した。第1はビルマ南西部のアキャブ(現在のシットウェ)の奪回を目指した作戦、第2は「チンディット」部隊(いわゆるウィンゲート旅団)によるビルマ北部への進入作戦である。 アキャブはベンガル湾に面し、インドとの国境に近い最前線の要地だった。守備隊は宮脇支隊(歩兵第213連隊の一部)だった。1942年12月、イギリス軍第14インド師団が国境を越えて南下した。宮脇支隊はアキャブ前面まで後退し堅固な陣地を構築した。イギリス軍がこれを攻めあぐねている間に、日本軍第55師団が援軍に向かった。1943年3月末、第55師団主力はイギリス軍が横断不可能と判断したアラカン山脈を踏破して第14インド師団の側面を急襲した。奇襲は完全に成功し、第14インド師団は包囲されて大損害を受け、作戦開始地点まで後退した。こうして連合軍の反攻の初動は日本軍の快勝に終わった。
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