第一次アクレ共和国の独立宣言
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/01 14:21 UTC 版)
「アクレ紛争」の記事における「第一次アクレ共和国の独立宣言」の解説
アクレ地方に入植していたブラジル人達は、ボリビア政府が課した天然ゴムの輸出税に不満を持った。またアクレ川の下流にあたるアマゾナス州も課税に反発した。アマゾナス州の州知事であったホセ・カルドソ・ラマル・ジュニオール(ポルトガル語版)は、スペイン人のルイス・ガルベス・ロドリゲス(スペイン語版)を雇い、武器などを与えて実力排除を企てた。 ルイス・ガルベスは、ボリビア人の役人に成りすましてプエルト・アロンソに入り込んだ。状況を調査したところ、現地のブラジル人の不満やボリビアの役人や警官が少人数であることを把握し、慎重に反乱計画を立案した。 1899年7月14日、ルイス・ガルベスは行動を起こし、アクレ共和国の独立を宣言、自ら初代大統領を名乗った。ルイス・ガルベスは、さらに粗末な小屋を大統領宮殿と称して、大統領令を次々と発した。アクレ共和国の領域は、北はアヤクチョ条約でのブラジルとボリビアの国境線、南はマドレ・デ・ディオス川までを主張した。ルイス・ガルベスは、多くの入植者に大佐の称号を送り、またヨーロッパにいる知人をアクレ共和国の外交代表に任命した。このような稚拙な行動は、アクレの入植者の離反を招き、ルイス・ガルベスを追放する動きがでた。 ボリビア政府は反乱の報を受けて、ブラジル政府に反乱の鎮圧を依頼した。ブラジル国内ではアマゾナス州と競合関係にあったパラー州のゴム商人たちも、この反乱に否定的であった。彼らはルイス・ガルベスを「追い剥ぎ強盗」と批判し、反乱鎮圧に賛成の立場をとった。ブラジル政府は、1900年3月、警備艇を派遣し、ルイス・ガルベスをマナウスに連れ戻した。第一次アクレ共和国は崩壊し、アクレ地方は、再び無法地帯に戻った。
※この「第一次アクレ共和国の独立宣言」の解説は、「アクレ紛争」の解説の一部です。
「第一次アクレ共和国の独立宣言」を含む「アクレ紛争」の記事については、「アクレ紛争」の概要を参照ください。
- 第一次アクレ共和国の独立宣言のページへのリンク