第一次『卿雲歌』
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民国元年(1912年)2月,中華民国臨時政府公報に国歌の初稿を掲載し、外に意見を求め歌詞を修正した。初稿は沈恩孚の作詞であり、沈彭年が作曲した。『五族共和歌』とも題され、歌詞は以下のようであった。「亞東開化中華早,揖美追歐,舊邦新造。飄揚五色旗,民國榮光,錦繍河山普照。我同胞,鼓舞文明,世界和平永保。」しかし、袁世凱が中華民国臨時大総統になってから、この歌は定稿にならないまますぐに無くなり、それで終わりになってしまった。 1912年7月,北洋政府教育部部長蔡元培が「國歌研究會」を立ち上げ、民国二年(1913年)に教育部は国歌を募集した。同年に、衆議員汪栄宝が『尚書大伝』虞夏伝の中の『卿雲歌』に少し手を加え、同じく『尚書大伝』に見える舜の言葉を少し変えた「時哉夫、天下非一人之天下也」(天下は一人の天下に非ざるなり)を加え、当時北京に滞在していたフランス国籍のベルギー音楽家 Joam Hautstoneに作曲を請うた。そして教育部の審議に提出し呉敬恒らの賛同を得ることができた。1913年4月28日、国会開会時に『卿雲歌』が臨時の国歌と暫定された。この歌は今では忘れられているが、歌詞は以下のようであった。 卿雲爛兮、糺縵縵兮。日月光華、旦復旦兮。時哉夫、天下非一人之天下也。 一方、1915年5月23日に袁世凱総統は『中華雄立宇宙間(中国語版)』を国歌として公布した。
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