第一次『卿雲歌』とは? わかりやすく解説

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第一次『卿雲歌』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/01 02:24 UTC 版)

卿雲歌」の記事における「第一次『卿雲歌』」の解説

民国元年1912年2月中華民国臨時政府公報国歌初稿掲載し、外に意見求め歌詞修正した初稿は沈恩孚の作詞であり、沈彭年が作曲した。『五族共和歌』とも題され歌詞は以下のようであった。「亞東開化中華早,揖美追歐,舊邦新造飄揚五色旗民國榮光錦繍河山普照。我同胞鼓舞文明世界和平永保。」しかし、袁世凱中華民国臨時大総統になってから、この歌は定稿ならないますぐに無くなり、それで終わりになってしまった。 1912年7月北洋政府教育部部長蔡元培が「國歌研究會」を立ち上げ民国二年(1913年)に教育部国歌募集した同年に、衆議員汪栄宝が『尚書大伝』虞夏伝の中の『卿雲歌』に少し手を加え同じく尚書大伝』に見える舜の言葉を少し変えた「時哉夫、天下一人天下也」(天下一人天下に非ざるなり)を加え当時北京滞在していたフランス国籍のベルギー音楽家 Joam Hautstoneに作曲請うた。そして教育部審議提出し呉敬恒らの賛同を得ることができた。1913年4月28日国会開会時に卿雲歌』が臨時国歌暫定された。この歌は今では忘れられているが、歌詞は以下のようであった卿雲爛兮、糺縵縵兮。日月光華、旦復旦兮。時哉夫、天下一人天下也。 一方1915年5月23日袁世凱総統は『中華雄立宇宙間(中国語版)』を国歌として公布した

※この「第一次『卿雲歌』」の解説は、「卿雲歌」の解説の一部です。
「第一次『卿雲歌』」を含む「卿雲歌」の記事については、「卿雲歌」の概要を参照ください。

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