第一次「ソ」作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/22 06:08 UTC 版)
6月6日朝、一五一空の一〇〇式司令部偵察機がツラギ港、ルンガ泊地の写真偵察を実施、大型輸送船一隻、同中型三隻、同小型10隻などを報じ、翌朝も同様にブインを発進した一〇〇式司偵がラッセル諸島方面の天候偵察を実施、天候良好を報じた。第一基地航空部隊指揮官は6月6日、六〇三作戦を予定通り7日から開始する旨を発令、二五一空零戦隊40機がブカに、二〇四空零戦隊32機がブインにそれぞれ進出、すでにブインで作戦中であった五八二空零戦隊と合流した。 ブインはこの日の前日、戦闘機約40機、艦爆約18機、B-171機による昼間空襲があった。これに対し、日本海軍はベララベラ島の見張り所からの警報に基づき五八二空の零戦21機、九三八空の零観9機が発進、零戦3機が未帰還となり、海上トラックの神徳丸が沈没した。 攻撃隊は編成は以下の通り。 第一突撃隊 五八二空 零戦21機 第二突撃隊 二〇四空 零戦24機 第三突撃隊 二五一空 零戦36機 6月7日6時45分、攻撃隊は第三突撃隊がブカを発進、その後ブインを発進した第一、第二突撃隊(内8機は爆装)と7時15分に合同、計81機の零戦がガダルカナル島方面へ向かった。攻撃隊は8時15分頃、ガトカエ島付近でF4F戦闘機8機と遭遇し交戦し、その後8時45分、ラッセル諸島上空に突入、邀撃してきたP-38、P-39、F4F、F4Uなど数十機の戦闘機と激しい空戦を行ない、一部はラッセル諸島の敵飛行場を爆撃した。攻撃隊はその後一部がムンダで給油し、10時30分~13時40分までに発進基地に帰投した。 第一基地航空部隊指揮官はこの日の夜、戦闘概報をもって、敵戦闘機41機の撃墜を報告した。またこの日の攻撃で二〇四空に3機、二五一空に6機の零戦が未帰還となった。さらに所見として、空中連絡指揮上の優秀な無線機を備え、戦闘機用の爆弾投下器は性能低下を生じさせるため改善の必要があるとのことだった。連合軍はこの日110機の戦闘機をもって迎撃、内7機を失った。 翌8日、ラバウルで第一時ソ作戦に関する研究会が開かれた。席上、参加部隊から多くの意見が出たが主なものは以下の通りであった。 一人の指揮官が掌握し得る最大機数について、従来は27~36機とされていたが、27機二隊(54機)程度は掌握可能であり、昨日の作戦程度の機数でも三個編隊81機で事前の打ち合わせを十分に実施していれば、指揮官は一人でも作戦可能である。 対大型機の戦闘では一個小隊4機編成、対小型機に対してはそれ以上の編成とする事が有利である。いかなる場合でも4機が最小限度で、これ以上分離することは被害防止の点からも不可である。 二〇四空は5月以降ほとんどの作戦に一個小隊4機編成を使用しており、5月に再進出してきた二五一空は従来からの一個小隊3機編成をとって第一時ソ作戦に臨んだ結果被害が多く、この結果各部隊は一個小隊4機編成として急速訓練することとなった。
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