二〇四空とは? わかりやすく解説

二〇四空

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/05 06:10 UTC 版)

第六航空隊」の記事における「二〇四空」の解説

11月1日第二〇四海軍航空隊」に改称1943年2月7日「ケ号撤収作戦ガダルカナル島撤収作戦)」完遂。この日まで連日輸送船団護衛。二〇四空は漸次ブインよりラバウル撤退2月28日「第81作戦(第51師団ラエ輸送作戦)」開始船団護衛従事3月3日輸送船団が敵の空襲により壊滅通称ダンピール海峡の悲劇」)。3月25日い号作戦発動攻撃隊の護衛担当4月7日X攻撃ガダルカナル島方面実施護衛従事4月12日Y攻撃ポートモレスビー方面実施護衛従事4月18日海軍甲事件発生山本五十六連合艦隊司令長官搭乗機護衛失敗6月16日ガダルカナル島上空空戦「セ」作戦)で飛行隊長宮野善治郎大尉森崎中尉らが戦死一時期士官パイロット皆無の状態となる。7月ブイン再進出10月8日 ニューギニア戦線転換ラバウルへ再撤退11月1日ブーゲンビル島連合軍上陸。翌2日対抗してろ号作戦発動12月15日ニューブリテン島上陸部隊爆装零戦55機(うち二〇四空41機)で強襲マーカス岬での攻撃から帰還した大庭良雄制空隊長)は戦果小さいと報告山中忠男(爆撃隊長)は大戦果と報告し戦果はっきりしなかった。柴田武雄司令現地から敵上陸用舟艇破片しきもの証拠として挙げ戦果物資満載の上陸用舟艇多数撃破炎上報告したが、実際連合側はほぼ被害受けず上陸成功した以後6回攻撃実施連合軍ラバウル攻撃激化連日空襲部隊迎撃従事1944年1月25日 トラック撤退命令ラバウル再進出のため、補充要員練成従事2月16日基地に敵偵察機があったが、気に止めず映画鑑賞をしてその日は寝た。しかし17日朝敵空襲によって目を覚まし柴田司令急いで機体上空発進させる31機中10機ほど帰還し18名未帰還、敵は戦闘機であったため空中被害大きく地上被害小さかった次の攻撃備えて6機しか用意できない状態になり、しかも搭乗員小隊長以外初心者となった。続く敵来襲によって最後には1機になった。この上空発命令飛行隊長倉兼義男大尉うろたえながら発進指示した指揮官として地上零戦を失うくらいな戦って失った方が得策でも、隊員はほぼ戦闘未経験者ベテランマラリアかかっており上がれば必ず落とされる状況であり、前田曹長士官たちに拳銃向けて「こんな大群2、3機上がって何になる。てめえらはそんなに下士官殺したいのか。そんなに殺したきゃ死んでやるから見てろ」と言って戦闘機敵機体当たりし死亡した。このトラック大空襲270機の機体喪失補給され最新零戦52100機も戦わず破壊された。主力204空再進出計画前に壊滅したため、ラバウルへの再進出計画断念せざるをえなくなり204空解隊余儀なくされた。3月4日解隊トラック空襲生き延びた要員第二五三海軍航空隊編入されマリアナ諸島防衛従事しラバウル残留した要員第一五一海軍航空隊編入され終戦まで自活した。

※この「二〇四空」の解説は、「第六航空隊」の解説の一部です。
「二〇四空」を含む「第六航空隊」の記事については、「第六航空隊」の概要を参照ください。

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