第一次DeNA時代
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2012年は、他の新人選手と共にキャンプのスタートを二軍で迎えたものの、キャンプ中に新人で唯一一軍に昇格すると、対外試合で決勝打を放った。7月18日の東京ヤクルトスワローズ戦では、小林太志の女房役として球団の新人一番乗りで初出場・初スタメンを果たすと、マスクを被った1回から6回までを無失点に抑え、2011年5月以来となるチームの同一カード3連勝に貢献した。球団としては、高卒ルーキーのスタメンマスクは谷繁元信以来23年ぶりであった。打撃面では、122打席に立って打点は0、打率.170の成績を残した。 2013年は、一軍公式戦で初めて、開幕戦からスタメンで起用。4月21日の対中日ドラゴンズ戦(横浜スタジアム)では、プロ初のサヨナラヒットを放ち、チームの勝率5割復帰に貢献した。一軍公式戦全体では51試合に出場したものの、打率が.136と打撃が振るわず、シーズン中盤以降は打撃好調の鶴岡一成に正捕手の座を奪われた。7月26日に出場選手登録を抹消されたが、イースタン・リーグ公式戦では23試合の出場で打率.140の成績を残し、一軍へ復帰できないままシーズンを終えた。 2014年は、開幕を二軍で迎えたが、4月2日に捕手の嶺井博希と入れ替わりで一軍登録された。一軍の正捕手は黒羽根利規であったが、井納翔一が先発する際はバッテリーを組んだ。 2015年は、一軍公式戦で自己最多の64試合に出場。打率が初めて2割を超えたほか、5月5日の対ヤクルト戦(横浜)4回裏に、成瀬善久から一軍公式戦での初本塁打を放った。 2016年は、新任のアレックス・ラミレス一軍監督の方針で、ルーキーの戸柱恭孝を正捕手格に据えたことから、2番手捕手として前年3勝に終わった山口俊の先発登板試合を中心にスタメンマスクを任され、躍進の原動力となった。三浦大輔の引退試合であった9月29日の対ヤクルト戦(横浜)でも、三浦とのバッテリーでスタメンに起用。一軍公式戦全体では47試合の出場で、2年連続の本塁打はならず、打率も.163にとどまった。 2017年は、レギュラーシーズンの一軍公式戦では、ドラフト1巡目で入団した左腕投手・濵口遥大の先発登板試合にスタメンに起用。濵口が登板した22試合のうち、19試合でスタメンマスクを被った。濵口が故障で戦線を離れた7月には、髙城も出場選手登録を抹消されたが、8月に再び登録。濵口のレギュラーシーズン2桁勝利(10勝)達成に貢献した。ラミレスが一軍公式戦の開幕から戸柱・嶺井との併用による捕手3人制を取った関係で、自身の出場はプロ入り後自己最少の29試合にとどまったが、3本の三塁打や一軍公式戦での自己最高打率(.250)を記録。チームのレギュラーシーズン3位で迎えたポストシーズンも、濵口の先発登板試合にスタメン起用された。11月1日の日本シリーズ第4戦(横浜)では、一軍公式戦2年ぶりの本塁打を含む3安打3打点の活躍によって、チームの19年ぶりシリーズ勝利に貢献した。 2018年は、前年から主にバッテリーを組んでいた濵口が左肩痛で出遅れたこともあって、公式戦の開幕を二軍で迎えた。4月15日に一軍へ昇格すると、一軍公式戦28試合に出場。7月上旬までの通算打席数は75で、前年のシーズン通算打席数(61)を上回っていたが、打率は.136にとどまった。
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