第一次DeNA時代とは? わかりやすく解説

第一次DeNA時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 02:53 UTC 版)

髙城俊人」の記事における「第一次DeNA時代」の解説

2012年は、他の新人選手と共にキャンプスタート二軍迎えたものの、キャンプ中に新人唯一一軍昇格すると、対外試合決勝打を放った7月18日東京ヤクルトスワローズ戦では、小林太志女房役として球団新人一番乗り初出場・初スタメンを果たすと、マスク被った1回から6回までを無失点抑え2011年5月以来となるチーム同一カード3連勝貢献した球団としては、高卒ルーキーのスタメンマスクは谷繁元信以来23年ぶりであった打撃面では、122打席立って打点は0、打率.170の成績残した2013年は、一軍公式戦初めて、開幕戦からスタメン起用4月21日対中ドラゴンズ戦(横浜スタジアム)では、プロ初のサヨナラヒット放ちチーム勝率5割復帰貢献した一軍公式戦全体では51試合出場したものの、打率が.136と打撃振るわずシーズン中以降打撃好調鶴岡一成に正捕手の座を奪われた。7月26日出場選手登録抹消されたが、イースタン・リーグ公式戦では23試合出場打率.140の成績残し一軍復帰できないままシーズン終えた2014年は、開幕二軍迎えたが、4月2日捕手嶺井博希入れ替わり一軍登録された。一軍の正捕手黒羽根利規であったが、井納翔一先発する際はバッテリー組んだ2015年は、一軍公式戦自己最多64試合出場打率初めて2割を超えたほか、5月5日の対ヤクルト戦横浜)4回裏に、成瀬善久から一軍公式戦での初本塁打放った2016年は、新任アレックス・ラミレス一軍監督方針で、ルーキー戸柱恭孝を正捕手格に据えたことから、2番捕手として前年3勝に終わった山口俊先発登板試合中心にスタメンマスクを任され躍進原動力となった三浦大輔引退試合であった9月29日の対ヤクルト戦横浜でも、三浦とのバッテリースタメン起用一軍公式戦全体では47試合出場で、2年連続本塁打はならず打率も.163にとどまった2017年は、レギュラーシーズン一軍公式戦では、ドラフト1巡目入団した左腕投手濵口遥大先発登板試合スタメン起用。濵口が登板した22試合のうち、19試合でスタメンマスクを被った。濵口が故障戦線離れた7月には、髙城も出場選手登録抹消されたが、8月に再び登録。濵口のレギュラーシーズン2勝利10勝)達成貢献したラミレス一軍公式戦開幕から戸・嶺井との併用による捕手3人制取った関係で、自身出場プロ入り自己最少29試合とどまったが、3本三塁打や一公式戦での自己最高打率(.250)を記録チームレギュラーシーズン3位迎えたポストシーズンも、濵口の先発登板試合スタメン起用された。11月1日日本シリーズ第4戦(横浜)では、一軍公式戦2年ぶりの本塁打を含む3安打3打点活躍によって、チーム19年ぶりシリーズ勝利貢献した2018年は、前年から主にバッテリー組んでいた濵口が左肩痛で出遅れたこともあって、公式戦開幕二軍迎えた4月15日一軍昇格すると、一軍公式戦28試合出場7月上旬までの通算打席数75で、前年シーズン通算打席数61)を上回っていたが、打率は.136にとどまった

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