ぜったいこくぼう‐けん〔ゼツタイコクバウ‐〕【絶対国防圏】
【絶対国防圏】(ぜったいこくぼうけん)
太平洋戦争(大東亜戦争)後期、連合国軍の反撃で守勢に立たされた日本が、本土防衛及び戦争続行のために必要不可欠な地域として設定した防衛ライン。
千島~マリアナ~トラック環礁~西部ニューギニア~スンダ列島~ビルマなどを線で結んだ長大な防衛線で、1943年(昭和18年)9月30日の御前会議で決定された。
しかし、実際にはその圏内ですら防衛体制構築が後回しになった拠点が存在し、最重要拠点であったサイパンに関しても防衛体制が整う前にアメリカ軍の攻撃を受けることになる。
また、その頃の日本軍は、ミッドウェー海戦やガダルカナルの支配権を巡る一連の攻防戦で連合艦隊が壊滅的な打撃を受けていて海上・航空優勢を失っていた。
事実、1944年6月の「あ号作戦」に失敗してマリアナ諸島を失った日本は、当戦争での敗戦が決定的となった。
絶対国防圏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/27 22:01 UTC 版)
絶対国防圏(ぜったいこくぼうけん)とは、太平洋戦争において、劣勢に立たされた大日本帝国が本土防衛上及び戦争継続のために必要不可欠である領土・地点を定め、防衛を命じた地点・地域である。
- ^ “今後採ルヘキ戦争指導ノ大綱”. 閣議決定 (1943年9月30日). 2020年5月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年2月25日閲覧。
- ^ Geelvink Bayであるから本来はオランダ語読みでヘールフィンク湾とするべきであるが、ここでは当時の海軍水路部の表記(海図852号「ゲールビング灣及附近」、海軍水路部、昭和7年9月)を用いた。
- ^ ホーランジア(現在のジャヤプラ)までを西部ニューギニアに含むとする説もあるようであるが出典が必要。
- ^ 1942年4月18日のドーリットル空襲は、航空母艦から発艦して中華民国上空で機体を放棄し、乗組員はパラシュート降下するという形で行われた。また、サイパン陥落以前より九州は中華民国からの通常爆撃が可能であった。
- ^ 1944年2月21日より兼任していた参謀総長は、木戸幸一の要求により直前の7月14日に辞職している。
- ^ 堀栄三『大本営参謀の情報戦記』、p81~p82
- ^ 大井篤『海上護衛戦』第3章 「絶対国防圏の戦略」、p113
- 1 絶対国防圏とは
- 2 絶対国防圏の概要
- 3 参考文献
- 絶対国防圏のページへのリンク