守勢下の戦時国民思想
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 14:34 UTC 版)
1943年、日本軍はガダルカナル島やアッツ・キスカ両島から転進(撤退)し、また同年9月には同盟国イタリアが単独降伏する。瀬戸際に立たされた日本は絶対国防圏の設定を発令する。 同年11月、文部省は国民錬成所と国民精神文化研究所を統合し教学錬成所とする。教学錬成所の所長には国民精神文化研究所長伊東延吉が就くが、実質的には国民錬成所が国民精神文化研究所を吸収合併する。国民精神文化研究所は対米英開戦後プレゼンスを低下させてきており、教学錬成所に吸収されるのは既定路線であった。国民精神文化研究所は消滅するにあたって創立以来の十余年を回顧して「個人主義・自由主義を克服し、国体の宣揚、日本精神の闡明のために少なからぬ貢献」をしたことを自負し、機関として消滅することにも満足を示している。 同年12月、政府は「戦時国民思想確立ニ関スル基本方策要綱」を閣議決定する。その「方針」の冒頭に「万邦無比の皇国国体の本義に徹し政教一に聖旨を奉体し深く学問思想文化の根源を匡し愈々忠誠奉公の精神を昂揚振起せしむ」といい、また「要領」の冒頭に「国体の本義の透徹と教学の刷新振興」として次のことを掲げる。 国家万般の施策は尽忠の至誠を最高度に発揚せしむることを第一義とすること 学者、思想家を動員し皇国の道の闡明を図ること 学問、思想に於ける由由主義、個人主義または社会主義的思想を払拭し、真の日本精神に基づく諸学の確立徹底を図り、これを教育教化の実際に浸透せしむること 宗教および宗教活動の醇化昂揚を図ること 基本方策要綱と同時に閣議決定した文教措置要綱では「国体・日本精神に基く学問、思想の創造発展を図り教学の全面に之を浸透せしめ戦意の昂揚、戦力増強の根本に培うため、教育内容の検討刷新、訓育体制の強化、日本諸学振興委員会の拡充等につき必要なる措置を講ず」とされる。 1944年6月、日本はマリアナ沖海戦で壊滅的に敗北し、マリアナ諸島を失い、絶対国防圏を破られる。戦争指導に当たってきた東条内閣は総辞職する。 教学錬成所は1945年2月までに各種学校の教員等を対象に30回前後の錬成を実施したと推測される。そのうち例えば高等教員の錬成は「国体の本義に基づき、私心を去り、決戦下一死殉国の気魂に培い、行勤労即教育の精神に徹し、もって皇国教学の本旨を体現せしめん」とすることを目的とする。 沖縄失陥後の1945年6月、政府は文部省請議「戦局に対処する本庁行政の簡素強化に関する件」を閣議決定する。これにより文部省の大部分は「国体護持の信念透徹」などの思想指導に集中することになる。
※この「守勢下の戦時国民思想」の解説は、「国体」の解説の一部です。
「守勢下の戦時国民思想」を含む「国体」の記事については、「国体」の概要を参照ください。
- 守勢下の戦時国民思想のページへのリンク