住民が真珠湾攻撃を知る
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 20:15 UTC 版)
「ニイハウ島事件」の記事における「住民が真珠湾攻撃を知る」の解説
ニイハウは電話はおろか電力も来ていなかったが、その夜、住民たちは、電池式のラジオで真珠湾攻撃の事を知った。住民たちは西開地を詰問し、原田は攻撃の事を今度は彼らに伝えた。島の持ち主のロビンソンが翌朝、週末の日課通りにカウアイ島から到着する予定だったため、西開地はロビンソンと共にカウアイ島へ移されることになった。 しかし、アメリカ軍が真珠湾攻撃の数時間の内に、島へのボート移動を禁止したため、ロビンソンは月曜日に到着できなかった。その後も数日の間、彼は足止めされた。禁止令の事を知らない住民たちは、ロビンソンが到着しない事に不安になった。原田家の要請によって、西開地は5人の監視と共に原田家に移され、彼らには十分な会話をする機会ができた。 12月12日の4時に、西開地の依頼を受けたシンタニは、カレオハノに対して、ニイハウの住民にとっては高額の「200ドルで西開地の書類を買う」と持ちかけたが、カレオハノは再び拒否した。シンタニは、「書類が西開地に戻らないと問題になり、生死に関わる事態になる」と言ったが、カレオハノは聞き入れず、シンタニは出て行った。 シンタニの帰りを待たず、原田と西開地は、家の外にいた監視の一人を襲った。その間、梅乃が騒動の音をかき消すために蓄音機で音楽を流した。5人の監視のうち、3人は職務を放棄して別の場所にいた。監視は倉庫に閉じ込められ、原田たちは散弾銃と倉庫に保管してあった西開地の銃で武装し、カレオハノの家へ向かった。 シンタニが出て行って数十分後、カレオハノは納屋にいた。そこで彼は、原田と西開地が銃を持ち人質を取ってやって来るのを見て隠れた。原田たちはカレオハノを見つけられず、彼らの注意は近くにあった西開地の零戦に向かった。カレオハノはそれを見て納屋から出て逃げた。「止まれ」という言葉と散弾銃の音を聞きながら、カレオハノは走った。カレオハノは、近くの村の住民に逃げるように言ったが、住民たちは原田がそのような行動を取るとは信じられなかった。原田は彼らと共に3年近く暮らし、良き隣人と思われていたからである。それから、捕らえられていた監視が逃げ出し、村へ戻った。住民たちは洞窟、藪の中、遠くの浜辺へと逃れた。 カレオハノは書類を家族に預けた。午前12時30分、彼は一連の出来事をロビンソンに伝えるため、5人の住民とともに救命ボートでカウアイ島へ向かった。これはボートを人力で漕ぐ、10時間に及ぶ旅程だった。ニイハウ島の住民が灯油ランタンと反射板を使い、カウアイ島へ信号を送っていたため、ロビンソンはニイハウ島で問題が起こっている事を把握していた。その前夜には、住民たちは自暴自棄になり、たき火を行っていた。しかし、ロビンソンのニイハウ島への渡航は許可されなかった。 一方、原田と西開地は、西開地の零戦の無線を使おうと試みたが失敗し、機体に火を付けた。午前3時頃、カレオハノ宅にも火を付けた。
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