反軍演説とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 同じ種類の言葉 > 政治 > 政治活動 > 演説 > 反軍演説の意味・解説 

反軍演説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/28 23:04 UTC 版)

反軍演説(はんぐんえんぜつ)は、1940年昭和15年)2月2日帝国議会衆議院本会議において立憲民政党斎藤隆夫が行った演説日中戦争支那事変)に対する根本的な疑問と批判を提起して、演説した。この演説により、3月7日、斎藤は衆議院議員除名された[1]。この経緯は言論弾圧としても扱われる。なお、「支那事変処理を中心とした質問演説」や「支那事変処理に関する質問演説」を、一般的に「反軍演説」と称している。


  1. ^ a b 政友会は、久原房之助を総裁とする久原派(正統派)と中島知久平を総裁とする親軍議員が多い中島派(革新派)、少数のどちらにも属さない金光派(中立派)に分裂していた。
  2. ^ 小田栄の「要点を言え、要点を」などを指していると考えられる。
  3. ^ しかし、音声では、「唯徒に聖戦の美名に隠れて、国民的犠牲を閑却し、曰く国際正義、曰く道義外交、曰く共存共栄、曰く世界の平和、斯くの如き雲を掴むような文字を列べ立てて、そうして千載一遇の機会を逸し、国家百年の大計を誤るようなことかありましたならば」の直後の罵声・怒号で、斎藤の演説がかき消された様子が分かる。
  4. ^ a b 社会大衆党の略称「社大党」の誤り、前身政党は社会民衆党
  5. ^ 『斎藤隆夫日記』下巻、352頁には「興亜院総裁」と記載。
  6. ^ 国立国会図書館憲政資料室所蔵[7](以下、「大木文書」)
  7. ^ 現在の衆議院事務総長
  8. ^ 大木は秘密会の議事録を、陸軍の焼却要求から守り抜き、日記で斎藤除名の様子を詳細に記述するなど、当問題についての貴重な史料となっている。
  9. ^ 赤松克麿小山亮が「何故に斎藤隆夫君は懲罰に附せられたる乎―国民は正しく認識せよ!」と題する冊子が出版されたが、表紙の著者名が異なるだけで文章は全く同じ内容。(大木文書収録)
  10. ^ 除名後に斎藤のもとに短刀が送り付けられる事件があった。(『斎藤隆夫日記(下巻)』3月9日、359頁。)
  11. ^ 2月29日になって斎藤はやむなく、条件付き (議会で釈明させることと、選挙民が同意すること) で辞任を考慮すると幹部の俵孫一に伝えたが、 民政党は先に斎藤の辞任を要求し、辞任すれば議会での釈明を許可すると言い出した[17]。また、議会での釈明についても、斎藤を攻撃した議員グループがその内容に干渉し、「陳謝的内容」以外は認めないと強硬な態度を取り続けた[18]。3月4日、斎藤は親しかった議員たちと会合を持ち、十分な釈明ができないなら辞職を拒否することを決め、帰宅後、熱海の富士屋旅館に引きこもり、以後しばらくの間登院を拒絶した[18]
  12. ^ 大木操『激動の衆議院秘話』252頁には無所属議員の氏名の記載は無し。
  13. ^ 斎藤隆夫自身もこの時点で無所属だが、当事者のためか各資料に氏名は記載されていない。なお、木舎幾三郎『戦前戦後』285頁には斎藤は議会に出席し、賛成者に氏名があるが、実際には議会には出席していない。(懲罰にかけられた議員はその採決に加わることはできない)
  14. ^ 町田忠治小泉又次郎など民政党の賛成者は省略。
  15. ^ a b 木舎幾三郎『戦前戦後』には氏名の記載なし。
  16. ^ 『主なる反対棄権者調べ』には「欠席」と記載。『3⽉7⽇本会議における賛否投票表』と木舎幾三郎『戦前戦後』286頁では「賛成」。
  17. ^ 衆議院副議長。
  18. ^ 本記事では、登院したものの、本会議に欠席した者を「棄権」として扱う。
  19. ^ 選挙区が斎藤と同じである政友会の若宮は、除名時に「私も君と行を同じくする」とし、自らも議員辞職を示唆し、斎藤を激励、斎藤は感激した。支持者から、同一選挙区で2人も議員を辞められたら困るとの声が上がり(補欠選挙が行われる)、結局辞職はしなかったが、翼賛選挙で斎藤と同じく非推薦で立候補するも、僅差で落選(投票結果は後述)。
  20. ^ a b c d e f g h i j 木舎幾三郎『戦前戦後』では「欠席」。
  21. ^ 西尾の除名のときも、反対を表明していた。
  22. ^ 木舎幾三郎著『戦前戦後』286頁では茨城県選出で無所属で「氏名不詳」と書かれた。
  23. ^ 風見の死後公開された『風見章日記』では斎藤が除名された3月から2か月半空白となっているため、斎藤除名は書かれていない。
  24. ^ 木舎幾三郎著『戦前戦後』285頁では東京府選出で無所属で「加藤」と苗字のみの「氏名不詳」と書かれた。
  25. ^ 不登院(例えば、麻生久のように、病欠で、必ずしも斎藤除名に消極的でない議員も含まれる。)
  26. ^ 木舎幾三郎著『戦前戦後』284頁では欠席者は32名となっている。
  27. ^ a b c 木舎幾三郎『戦前戦後』では「棄権」。
  28. ^ 木舎幾三郎『戦前戦後』375頁では「賛成」。
  29. ^ 反対票 (青票) を投じた7人の氏名については、粟屋憲太郎『日本の政党』岩波書店〈岩波現代文庫〉375頁でも確認できる。
  30. ^ 正確には、無所属。
  31. ^ 国家総動員法案審議中に発生した西尾除名事件のこと。
  32. ^ 反対者は7名だが、『日記』には6名分書かれ、牧野良三は書かれていない。

出典

  1. ^ 『第75回帝国議会衆議院議事摘要 下巻』衆議院事務局、1940年、p.343
  2. ^ 『第75回帝国議会衆議院議事摘要 上巻』衆議院事務局、1940年、pp.68-77
  3. ^ a b c d 粟屋憲太郎『日本の政党』岩波書店〈岩波現代文庫〉、2007年、370頁。ISBN 9784006001889 
  4. ^ 『回顧七十年』「国家総動員法案、質問演説」より。以下のカギ括弧内引用は断りが無い限りこのページからのものである。
  5. ^ 斎藤隆夫『斎藤隆夫日記』 下、中央公論新社、352頁。 
  6. ^ 勝田龍夫『重臣たちの昭和史』 下、文藝春秋〈文春文庫〉、137頁。 
  7. ^ 大木操関係文書目録
  8. ^ 大木操『激動の衆議院秘話―舞台裏の生き証人は語る―』第一法規、1980年、237頁。 
  9. ^ a b 粟屋『日本の政党』p.371.
  10. ^ 大木『激動の衆議院秘話』241頁。
  11. ^ 大木『激動の衆議院秘話』242-244頁。
  12. ^ 大木『激動の衆議院秘話』244頁。
  13. ^ 古川隆久『戦時議会』吉川弘文館、2001年、90頁。ISBN 4-642-06658-6 
  14. ^ 古川『戦時議会』pp.90-91.
  15. ^ 古川『戦時議会』p.88.
  16. ^ 『斎藤隆夫日記(下巻)』、352頁。
  17. ^ a b 粟屋『日本の政党』p.373.
  18. ^ a b 粟屋『日本の政党』p.374.
  19. ^ a b 粟屋『日本の政党』p.372.
  20. ^ a b 粟屋『日本の政党』p.375.
  21. ^ a b 古川『戦時議会』p.89.
  22. ^ 第75回帝国議会 衆議院 本会議 第21号 昭和15年3月7日|PDF表示|帝国議会会議録検索システム
  23. ^ 「大木文書」『主なる反対棄権者調べ』『3⽉7⽇本会議における賛否投票表』ほか。資料により出席、欠席、棄権者の内訳は異なる。
  24. ^ a b c d 粟屋『日本の政党』p.377.
  25. ^ 粟屋『日本の政党』pp.378-379.
  26. ^ 第七五回帝国議会 衆議院解説 『帝国議会誌』第38巻 古屋哲夫の足跡 元京都大学人文科学研究所教授
  27. ^ 『回顧七十年』「議員を除名される」
  28. ^ 松本健一『評伝 斎藤隆夫―孤高のパトリオット』174頁。


「反軍演説」の続きの解説一覧




反軍演説と同じ種類の言葉


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「反軍演説」の関連用語

反軍演説のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



反軍演説のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの反軍演説 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS