田中万逸とは? わかりやすく解説

田中萬逸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/23 10:19 UTC 版)

田中 萬逸
たなか まんいつ
生年月日 1882年9月23日
出生地 大阪府富田林市
没年月日 (1963-12-05) 1963年12月5日(81歳没)
出身校 早稲田大学中退
所属政党憲政会→)
立憲民政党→)
日本進歩党→)
日本民主党→)
(無所属/同志クラブ→)
(無所属/民主クラブ→)
民主自由党→)
自由党
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田中 萬逸(たなか まんいつ、1882年明治15年〉9月23日 - 1963年昭和38年〉12月5日)は、日本政治家国務大臣衆議院副議長

来歴

現在の大阪府富田林市に生まれる。早稲田大学を中退後、報知新聞記者を経て、1916年故郷の大阪府から衆議院補欠選挙に繰り上げ当選。以後当選14回。戦前は憲政会立憲民政党に所属し、1939年阿部内閣にて逓信政務次官を務める。

戦後は日本進歩党の結党に参加し幹事長を務める。1947年第1次吉田内閣が発足すると、党総裁幣原喜重郎の推挙により国務大臣(無任所)として入閣。同年新憲法下初の衆議院副議長となる。民主党の結党に参加したが吉田茂が次の首班たるべきと主張して離党し1948年2月同志クラブに参加。同志クラブは民主クラブを経て日本自由党と合同し民主自由党を結党したので田中も民自党に所属した。同年炭鉱国管疑獄で起訴されるも、1951年無罪確定[1]。その間1950年からは自由党に所属。

名文家にして野次の名手であり、また粋な道の達人として知られ、特に女流奇術師松旭斎天勝(初代)との艶聞が有名である。ただ生活態度は質素であり、酒もタバコも嗜まなかった。

著作

単著

編集

共著

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 田中二郎、佐藤功、野村二郎編『戦後政治裁判史録 1』第一法規出版、1980年、341、347-350頁。

外部リンク

議会
先代
井上知治
衆議院副議長
第33代:1947年 - 1948年
次代
岩本信行
公職
先代
創設
国務大臣(無任所)
1947年
次代
廃止




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